給人 (Kyujin)
給人(きゅうじん)
室町時代から江戸時代の初頭には、領地を持った武士で、蔵米取りでないという意味で使用された。
江戸時代、諸藩における藩士の家格・家柄の一つ。
江戸時代、徴税吏の総称として、給人という語を使用することがあった。
概要
武士は、土地に対する執着が強かった。
わずか数十石であっても、自分の領地を持つことを望む傾向があった。
戦国時代には、己の知行する土地を持たずに、俸禄を受けている武士は、下級武士と考えられていた。
しかし、小領主の場合は、収穫が安定せずに、イナゴ・コクゾウムシなどの害虫・風害・水害・冷害などの天変地異で困窮することが珍しくなかった。
江戸時代になると、諸藩の藩主は、強大な統治権を得るために、家臣の知行を、土地を直接給付して独自に徴税を行わせる地方知行制から、藩が一括して徴税した米を中心とした農産物を家臣に給付して、その一部を商人を通じて換金させる蔵米知行に転換することを目指した。
この改革は、特に弱体化されることを恐れた上級家臣を中心に反感が強かった。
実質減封となる場合もあったので、中堅以下の家臣であってもこれを嫌った。
この転換を断行・あるいは企図したために、藩政が混乱して、お家騒動の背景の一つとなることもよくあった。
代表例としては高田藩の越後騒動や、仙台藩の伊達騒動がある。
かくして、蔵米知行制に転換した諸藩にあって、本来であれば、知行を与えられる格式を持つ武士に対して、給人という呼称や、給人という格式の家格を、栄誉的に与えたのである。
江戸時代に、給人を名乗る格式の藩士は、一般に「上の下」とされる家柄の者である。
給人より格上の呼称を持つ藩士は、その格式を家格として称したので、通常は、給人という呼称は用いなかった。
幕府が諸藩を指導して給人という呼称を用いさせたり定着させようとした事実はないにも関わらず、多くの諸藩には、給人または給人席という身分・家格が存在した。
給人はごく大雑把に以下のような序列に組み込まれていた。
(1)家老
(2)年寄・中老
(3)用人・番頭
(4)物頭・大目付
(5)取次・奏者
(6)給人・目付
(7)中小姓
(8)馬廻
(9)祐筆・代官
(10)徒士目付・与力
(11)徒士・同心
(12)中間・小者
馬上を許されるのは給人からとする藩は多い。