葛城国造 (Kazuraki no Kuni no Miyatsuko)
葛城国造(かずらきのくにのみやつこ・かずらきこくぞう・かつらぎのくにのみやつこ・かつらぎこくぞう)は大和国南西部を支配した国造。
葛木国造とも。
祖先
剣根。
高魂命の5世孫または天押立命の4世孫という。
神武天皇2年に初めて葛城国造とされた。
初代倭国造とされる椎根津彦とともに国造の最も古い例とされる。
氏族
葛城氏。
姓は直。
天武天皇12年(683年)に連に、14年に忌寸に昇格した。
5世紀に繁栄した葛城氏は武内宿祢の子孫で、姓も臣で別系統だが、婚姻関係によって同系統化している。
本拠
大和国葛城地方。
葛上郡・葛下郡両郡。
現在の奈良県御所市・五條市など。
氏神
不明。
同地域には葛城御縣神社・葛城一言主神社など延喜の制の名神大社・大社が連立。
子孫
葛城荒田彦 ...... 古墳時代の伝説上の人。
国造。
娘の葛比売が神別葛城氏の襲津彦に嫁いだ。
葛城磐村 ...... 古墳時代の人。
娘の広子は用明天皇の嬪となった。