過所 (Kasho (passport))
過所(かしょ)とは、中国の漢代より唐代の頃に用いられた通行許可証。
概要
漢代には、過所を「傅」や「棨」(啓)、「繻」とも称した。
漢代や晋 (王朝)代の過所は、中央アジアや敦煌市で発見された木簡中に見つかっている。
唐代では、唐令が完全には伝わらないため、その遺文は伝存していないが、日本の令の中に規定されているので、それによって、唐令も類推される。
但し、滋賀県大津市の園城寺(三井寺)には、入唐僧である智証大師円珍が使用した過所が2通伝来している。
国宝に指定されているので、唐の過所の実例を見ることが出来る。
それは、大中9年(857年)に尚書省と越州都督府とが交付したものであることが判る。
また、その形式と内容は、日本令(公式令 (律令法))に規定されるものと酷似している。
すなわち、交付元の官庁名が記される。
1通は尚書省司、1通は越州都督府。
旅行者・従者の身分、姓名、年齢、携行品、行き先、旅行目的、交付申請、申請に対する審査、交付年月、交付官司の官職名、氏名等が、過所に記載される内容となる。
越州都督府の交付した過所には、「円珍は、越州の開元寺を出発し、洛陽・長安・五台山 (中国)を巡礼し、再び開元寺に帰還する予定である。
その往還の州県にある関津などで、官司に咎められないよう、交付申請を行なう」と認められており、越州都督府は、その内容を審査した上で、発給を認可した旨が記されている。
また、末尾には、円珍が潼関を通行した際に、確認した関吏の官職・氏名・年月日が記されており、そこには、官吏のサインである自署(花押)が記される。
実際に、今日のパスポートと同様の役割で使用されたことを示す資料である。
その他、『入唐求法巡礼行記』には、円仁が受給した過所・公験が写しとられている。
また、1965年になって、莫高窟中の第122窟の前で、過所の写しが発見された。
それは、僅か7行の断片ではあるが、天宝7年(748年)の紀年が見られる。
さらに、1973年には、トルファンのアスターナ石窟中の509号墓から、開元20年(732年)の、ソグド商人の石染典ら一行が使用した過所の現物が発見された。
また、唐代には、過所に類した公文書として「公験」があり、宋 (王朝)代の後半には「公憑」や「引拠」と呼ばれた。
清朝では、「路引」(旗人)や「口票」(庶民)と呼ばれる旅券が用いられた。