長禄の変 (Choroku no Hen)
長禄の変(ちょうろくのへん)は、室町時代の長禄元年12月2日 (旧暦)(1457年12月27日)に赤松家遺臣らが後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である尊秀王と忠義王(後南朝の征夷大将軍である)の兄弟を騙し討って、神璽を持ち去った事件。
概要
嘉吉3年(1443年)の禁闕の変で、三種の神器の1つ『八尺瓊勾玉』は後南朝に持ち去られたままだった。
嘉吉の乱で取り潰された守護大名赤松氏の再興を願う赤松家遺臣達(石見太郎、丹生屋帯刀、上月満吉など)は、この点に着目。
大和国の豪族・小川弘光とともに、吉野の奥で北山・川上に本拠を置いていた後南朝の行宮を長禄元年12月2日_(旧暦)(1457年12月27日)に襲撃、南朝の皇胤である自天王と忠義王(後南朝の征夷大将軍である)の兄弟を討ち倒して、神璽を持ち去った。
しかし、後南朝を支持する吉野の民によって神璽を奪還された。
翌年の長禄2年(1458年)にも自天王の母の屋敷を襲い、再度神璽を持ち去った。
その後、約15年もの間、京都から持ち去られていた神璽の奪還成功を大いに認めた室町幕府は、赤松氏の再興を許した。