関東御分国 (Kanto Gobunkoku)
関東御分国(かんとうごぶんこく)とは、日本の鎌倉時代において将軍家(鎌倉殿)が支配した知行国を指す。
また、室町時代において鎌倉府が支配した国々をも指す。
関東知行国・関東分国とも言う。
なお、ここで言う関東とは鎌倉幕府の所有という意味で、東国のという意味ではなく、西日本にも数多くあった。
鎌倉時代の関東御分国
鎌倉時代の関東御分国は、将軍家が知行国主として支配し、一族や御家人を朝廷に推挙して国司に任じ、国衙領(公領)を支配するとともに、国衙領からの収入を得た。
文治元年(1185年)には9ヵ国に達したが、源実朝の時代には4ヵ国に減少する。
幕府成立当初は東国支配確立のため制度的保障としての意義があったが、幕府体制の安定に伴い役割が低下したためと見られる。
幕府滅亡時まで御分国だったのは駿河国・相模国・武蔵国・越後国で、相模・武蔵の国司には執権・連署が任命された。