お雇い外国人 (Oyatoi-gaikokujin (foreigners in Japan hired to teach new techniques))

お雇い(御雇)外国人(おやといがいこくじん)とは、幕末以降明治初期に、「殖産興業」などを目的として、欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために雇用された欧米人のことである。
江戸幕府や各藩、明治以降は新政府や各府県、または民間によって招聘された。
幕末に各藩が競って外国人を抱えて雇用したために、お抱え外国人ともよばれることもある。

広義では在外公館で雇用されていた者や、外国人居留地の警備に当たった者なども含まれるが、本項では日本が欧米から新しい技術や知識を学ぶために雇用した人物について述べる。

概要
お雇い外国人は、日本の近代化の過程で西欧の先進技術や知識を学ぶために雇用された。
彼らは産・官・学の様々な分野で後世に及ぶ影響を残した。
江戸時代初期からヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスなどの例があり、幕府の外交顧問や技術顧問を務め徳川家康の評価を得て厚遇されたほか、後にはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトなども一時期幕府顧問になったという経緯もある。
しかし外国人の雇用が本格化するのは鎖国が解かれ先進海外に範を求めるようになった明治維新以降である。

幕末の1855年、徳川幕府は長崎に海軍伝習所を開設し、オランダからカッテンディーケらを招き軍事顧問とした。
そのため海軍の黎明期にはオランダ人が指導の中心となったが、明治新政府に替わってからはイギリス人を顧問に据えることでイギリスに習った海軍運営となった。
陸軍の系譜においては、幕府ではフランスから軍事顧問を招いていた。
しかし顧問団が戊辰戦争で箱館戦争し敗戦の結果に終わり、ヨーロッパで普仏戦争にプロイセン(ドイツ)が勝利したこともあってか、明治新政府は軍制を転換しドイツから顧問団を招くこととした。

北海道開拓関係ではアメリカ合衆国人が多く招かれた。
幕末までに勃興したオランダ人は、維新後は土木の河川技術方面でヨハニス・デ・レーケ等多くの人材が雇用された(オランダの治水技術が関係者に高く評価された背景があるとされているが、アントニウス・ボードウィン博士兄弟との縁故による斡旋という説もある)。
工部美術学校ではイタリア人が雇用された。

【参考】『資料 御雇外国人』(1975)には1868(明治1年)から1889年(明治22年)までに日本の公的機関・私的機関・個人が雇用した外国籍の者の数として2,299人の名前が挙げられている(注:家族や在外公館の雇用者も含む)。
内訳はイギリス人928人、アメリカ人374人、フランス人259人、中国人253人、ドイツ人175人、オランダ人87人などである。

お雇い外国人は高額な報酬で雇用されたことが知られる。
政府首脳の月俸が数百円の時代、外国人で数百円から千円を越えるものもいた。
これは身分格差が著しい当時の国内賃金水準からしても極めて高額であった。
国際的に極度の円安状況だったこともあるが、当時の欧米からすれば日本は極東の辺境であり、外国人身辺の危険も少なくなかったことから、一流の技術や知識の専門家を招聘することが困難だったことによる。

所期の任務を終えるとそのほとんどは帰国した。
お雇い外国人のなかにはトーマス・ウォートルスのように一山当てようとやってきた流れ者や、チャールズ=デ・ボアンヴィルのように傲慢で日本人を軽視する者もいたが、他方では日本を深く愛し弟子たちに慕われた人物もいる。
小泉八雲やジョサイア・コンドル、エドウィン・ダンのように日本文化に惹かれて滞在し続け、日本で生涯を終えた人物もいる。

墓所
お雇い外国人の中には日本に墓所が残されている者もいる。
小泉八雲は島根県松江市の重要な観光資源にも位置付けられている。
フェノロサはロンドン滞在中に亡くなったが、園城寺(三井寺)に埋葬された。

東京都にある青山霊園の青山外国人墓地では、関係者の所在が不明となり、管理料(2005年現在、年590円)が長年にわたって未納のままのものがある。
通例であれば無縁仏として集合墳墓に改葬されるところだが、青山霊園の場合、2006年度に東京都側が78基にのぼる管理費滞納お雇い外国人墓所を文化史的に再評価し、史跡として保護する方針であることが2005年2月18日の読売新聞で報じられた。

分野別

学術・教育
小泉八雲
- 語学教育 『怪談』(英)
エドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)
- 生物学 大森貝塚の発見(米)
ウイリアム・スミス・クラーク
- 札幌農学校(現北海道大学)初代教頭(米)
バジル・ホール・チェンバレン
- 語学教育 『古事記』の英訳(英)
ラファエル・フォン・ケーベル (Raphael von Koeber 1848-1923)
- 哲学 (露)
フィクトール・ホルツ (Viktor Holtz)
- 多科目教育 (独)
エミール・ハウスクネヒト (Emil Hausknecht)
- 教育学 (独)
アリス・メイベル・ベーコン(Alice Mabel Bacon)
- 女子教育 (米)
ジョージ・アダムス・リーランド
- 体操伝習所教授(米)
ヘンリー・ダイアー
- 工部大学校(現東京大学工学部)初代都検 (英)
ハインリッヒ・エドムント・ナウマン
- フォッサ・マグナの発見、ナウマンゾウ (独)
デイヴィッド・モルレー
- 文部省顧問(督務官・学監)(1830-1905)(米)

外交
シャルル・ド・モンブラン
- 外国事務局顧問。
日本総領事。
(仏)

ヘンリー・デニソン
- 外務省顧問。
下関条約・ポーツマス条約交渉(米)

医学
エルヴィン・フォン・ベルツ
- 医学 (独)
フェルディナント・アダルベルト・ユンケル
- 医師 (墺)
テオドール・ホフマン
- 軍医 (独)
レオポルト・ミュルレル
- 軍医 (独)

法律
グイド・フルベッキ (Verbeck, Guido Herman Fridolin 1830-1898)
- 法律、旧約聖書の翻訳(蘭)
ギュスターヴ・エミール・ボアソナード
- 民法(仏)
アルバート・モッセ (Albert Mosse) (独)
オットマール・フォン・モール (Ottmar von Mohl 1848-1922)
- (独)
ヘルマン・ロエスエル (Hermann Roesler)
- 法学者 (独)

建築・土木・交通
ヘルマン・エンデ (Hermann Ende)
- 建築 (独)
ヴィルヘルム・ボェックマン (Wilhelm Boeckmann)
- 建築 (独)
ヨハニス・デ・レーケ
- 河川砂防整備(蘭)
ローウェンホルスト・ムルデル(Anthonie Thomas Lubertus Rouwenhorst Mulder)
-利根運河、広島港
- (蘭)
ジョージ・アーノルド・エッセル
- 河川整備(蘭) 版画家マウリッツ・エッシャーの父
ファン・ドールン
- 安積疏水の設計や野蒜築港計画に携わる (蘭)
トーマス・ウォートルス
- 銀座煉瓦街(英)
ジュール・レスカス(JulS. Lescasse)
- 生野銀山建設のほか、西郷従道邸宅(仏)
ジョサイア・コンドル
- 鹿鳴館の設計、建築学教育(英)

エドモンド・モレル(Edmund Morel)
- 新橋~横浜間の鉄道建設、初代・鉄道兼電信建築師長(英)
リチャード・ヴァイカーズ・ボイル(Richard Vicars Boyle)
- 京都~神戸間の鉄道建設、E・モレルの後任(英)
リチャード・フランシス・トレビシック
- 官設鉄道神戸工場汽車監察方。
国産第1号機関車を製作。
機関車の父、リチャード・トレビシックの孫。
(英)

フランシス・ヘンリー・トレビシック
- 鉄道技術を伝える。
官設鉄道新橋工場汽車監督。
リチャード・フランシスの弟(英)

レオンス・ヴェルニー
- 横須賀造兵廠、長崎造船所、城ヶ崎灯台など (仏)
ベンジャミン・スミス・ライマン
- 後の夕張炭鉱など北海道の地質調査 (米)
フレデリック・ベルデル(Frederic Bereder)
ー(仏)
リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)
-各地で灯台築造・横浜の街路整備(英)
ヘンリー・S・パーマー
- 横浜ほか、全国各地の水道網設計(英)
ウィリアム・K・バートン(William K Burton)
- 各地の上下水道を整備(英)
ジョン・ウィリアム・ハート
- 神戸外国人居留地計画(英)
E・A・バスチャン
-(1839-1888)横須賀製鉄所・富岡製糸場などの設計(仏)
チャールズ・アルフレッド・シャステル・デ・ボアンヴィル(Charles Alfred Chastel de Boinville)
- 皇居謁見所、工部大学校校舎など(仏)
ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・カッペレッティ(Giovanni Vincenzo Cappelleti)
- 参謀本部 (日本)や遊就館など(伊)
ジョン・スメドレー(John Smedley 生没年不詳)
- 東京大学理学部で造営学、図学講師 (教育)。
都市開発提案など(豪)

R・P・ブリジェンス
-新橋停車場、築地ホテル館
チャールズ・A・W・パウネル(Charles Assheton Whately Pownall)
-橋梁設計、帰国後も日本の鉄道全権顧問を委嘱(英)

各種産業技術
エドウィン・ダン
- 北海道の農業指導(米)
ウィリアム・ブルックス
- 北海道の農業指導
ルイス・ベーマー
- 北海道の農業指導
ホーレス・ケプロン
- 北海道の農業指導、道路など(米)
ヘンドリック・ハルデス
- 長崎造船所、製鉄所建設(蘭)
レオンス・ヴェルニー
- 海軍工廠の建設指導など(仏)
オスカル・ケルネル
- 農芸化学(独)
オスカル・レーフ(オスカル・レーヴ) (Oscar Loew)
- 農芸化学
ウィリアム・エドワード・エアトン(William Edward Ayrton、1847-1908)
- 物理学(英)
クルト・ネットー
- 鉱業の技術指導(独)
ジャン・フランシスク・コワニエ
- 鉱山技術、生野銀山にて帝国主任鉱山技師、日本各地の鉱山調査(仏)
ウィリアム・ゴーランド(ガウランド)
- 造幣局 (日本)(大阪)での化学・冶金指導など、古墳研究で考古学にも貢献(英)
カール・フライク
- 帝国ホテル総支配人として西欧ホテル経営の基礎を伝える
ポール・ブリューナ(Paul Brunat)
- 富岡製糸場の首長(責任者)、建設から近代製糸技術の導入まで(仏)

芸術・美術
アーネスト・フェノロサ
- 哲学、日本美術を評価(米)
エドアルド・キヨッソーネ
- 紙幣・切手の印刷、明治天皇・西郷隆盛などの肖像(伊)
アントニオ・フォンタネージ
- 絵画、工部美術学校(伊)
ルーサー・ホワイティング・メーソン
- 西洋音楽の輸入 音楽取調掛教師
フランツ・フォン・エッケルト
- 現行「君が代」の編曲(一説では作曲も)(独)
ゴットフリード・ワグネル
- 陶磁器、ガラス器などの製造指導(独)
シャルル・ルルー
- 音楽、特に軍楽の指導、陸軍分列行進曲(抜刀隊・扶桑歌)の作曲(仏)

軍事
クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル
- 陸軍大学校教官 (独)
ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ
- 近代海軍の教育 (蘭)
アーチボルド・ルシアス・ダグラス
- 海軍兵学校 (日本)教官 (英)

「御雇」の語義について

「御雇(おやとい)」とは(とくに外国人に限らず)武家でない身分の者を、その専門技芸において幕府の「御用」に徴用することを指した。
江戸期後半になって諸外国の動向が伝わって来るにつけ、武士である幕臣だけではさまざまな専門分野に対応できなかった。
そのため、一般民のなかから専門に秀でたとくに優れた人材を募り、この需要に充てたものである。
しかし幕府の側からすると、身分としてはあくまでも「御雇い」であり、臨時雇用の色合いの濃い立場の低い扱いではあった。
しかしなかには能力と功績が認められると正規の幕臣として取り立てられ、武家として称氏(氏姓、苗字を名乗ること)・帯刀・世襲が許される場合もあった。

[English Translation]