三上藩 (Mikami Domain)
三上藩(みかみはん)は、滋賀県野洲市野洲町三上に存在した藩。
藩庁は三上陣屋(城主大名)。
藩史
藩主家は遠藤氏である。
遠藤氏は美濃国郡上藩を領していたが、遠藤常久が7歳の時に家臣によって毒殺され、さらに先代から続いていた家督騒動が家臣団の内部で再燃したため、幕命により常久に嗣子が無かったために改易に処された。
しかし、藩祖である遠藤慶隆の功績を賞されて、元禄5年(1692年)に遠藤胤親が常陸国・下野国で1万石を与えられて、遠藤氏の再興が認められたのである。
元禄11年(1698年)3月7日、胤親は所領を近江国四郡に移されて、ここに三上藩が立藩したのである。
第5代藩主・遠藤胤統(若年寄)の代である嘉永5年(1852年)12月25日、江戸城西の丸造営の功績を賞されて、2,000石の加増を受けた。
幕末期の万延元年(1860年)4月15日には城主格に任じられた。
文久3年(1863年)10月7日に胤統は隠居し、後を孫の遠藤胤城が継いだ。
胤城は講武所奉行に任じられ、長州征伐などに活躍した。
将軍・徳川慶喜の代には奏者番に任じられて将軍側近となり、佐幕派としての立場を貫いた。
しかしこのため、慶応4年(1868年)1月に新政府から敵と見なされて領地を召し上げられた。
同年5月29日、罪を許されて領地は戻され、翌年6月23日には三上藩知事に任じられた。
その後、胤城は明治3年(1870年)4月14日、藩庁を和泉国吉見に移したため、以後は吉見藩として存続することとなったのである。
現存建物
伝裏門・・三上の集落内の個人宅に移築
永原御殿・・草津市の芦浦観音寺書院に移築されている。(重要文化財)
貞亨(1686)年幕府の命により廃城。
将軍上洛御殿の一つ。
この他、近江に柏原御殿・伊庭御殿・水口城御殿がある。
伝門・・野洲市の浄専寺に移築されてる。