下志万 (Shimojima navy)
下志万氏は、京都府の舞鶴湾を拠点に活躍した水軍。
戦国時代 (日本)、織田信長の一向一揆の北庄攻めの際には矢野水軍、桜井水軍、大島水軍らが織田側について戦ったことから下志万水軍もそうであったのではないかと考えられている。
当時の水軍は舞鶴湾沿いに根城を持っており舞鶴市の佐波賀という集落に残る城跡の城主は田辺旧記によると下志万七郎左衛門であったとされる。
丹後国加佐郡寺社町在旧起においては「蛇島城主光孝天皇二十九代末孫下志万七郎右衛門助景丹波国何鹿郡志万庄より当国に来る時代不知。」という記述もある。
平安時代に入っても下志万氏はこの地方の有力者であったとされるが、後に没落した。
しかし現在も佐波賀には下志万の姓を持つ世帯があり、下志万水軍の子孫と考えられている。