五畿七道 (Gokishichido (Five provinces and seven circuits))
五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。
畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。
北海道が置かれてからは五畿八道と呼ばれる。
概要
元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った物である。
日本における「道」の成立については大化の改新以前より存在したとする見方もあるが、五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている。
当初は全国を、都(平城京・平安京)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。
律令時代からの七道は、概ね地形的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。
西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄した。
七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道で結ばれていた。
七道は大路、中路、小路に分けられ、備える馬の数が異なっていた。
これら七道には、江戸時代の五街道などと重複する呼称がある。
時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。
その後、細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、後に、和人地および蝦夷地に新たに北海道 (令制)が置かれた。
以後、五畿八道と呼ぶ。
なお、北海道の記録は古く斉明天皇の時代阿倍比羅夫の遠征まで遡り、鎌倉時代には大和民族が住み道南十二館の時代を経、江戸時代には松前藩領や天領となっていた地域に最後に置かれた。
これは律令時代から置かれた他の七道と比べると、薩摩藩の付庸国時代を経て令制国となった琉球王国(沖縄)とともにずっと後世の行政区分である。
畿内
東海道 中路
東山道 中路
北陸道 小路
山陰道 小路
山陽道 大路
南海道 小路
西海道 小路
北海道 (令制)
現在の五畿七道
1871年の廃藩置県以降も五畿八道は廃止されておらず令制国も併用されていたが、1885年よりも後になると廃れ現在は五畿七道としての地方区分はあまり用いられなくなっている。
しかし、現在の日本各地の地方名の多く(北陸地方、山陽地方、山陰地方、北海道など)は、五畿七道に由来している。
また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震などの名称にもその名残が見られる。