八条院領 (Hachijoin-ryo (territory of Hachijo-in))
八条院領(はちじょういん-りょう)は、中世の荘園公領制下における王家領荘園群の一つ。
院御所鳥羽殿東殿の仏堂の後身の安楽寿院領を中心に鳥羽天皇領と美福門院領を相続したあき子内親王の所領を起源とする。
八条院→昇子内親王→順徳天皇→守貞親王→邦子内親王→亀山天皇→後宇多天皇→憙子内親王→後醍醐天皇に伝わり大覚寺統の主要な経済基盤となった。
八条院領と治承・寿永の乱
1180年、八条院の猶子である以仁王が反平氏の兵を挙げたときに、以仁王の令旨が八条院領荘園に伝えられた。
また、この以仁王の挙兵には美福門院から八条院に仕えてきた源頼政一族、八条院蔵人の源行家・源仲家、八条院領荘園の在地領主であった源義清 (矢田判官代)・下河辺行平といった武士が関係していた。
八条院領と元弘の変
1331年の元弘の乱の際は、後醍醐天皇の綸旨が八条院領荘園に伝えられ、八条院(安楽寿院)領足利庄の足利尊氏の挙兵の契機の一つとなったとされる。