勘合符 (Kangofu)

勘合符(かんごうふ)は日明貿易等に用いられた、明と朝貢国間の正式の来貢、通交船であることを証明する明が発行した割符。

勘合符は東アジアの50ヶ国程度に与えられた。
勘合符の主な目的は、朝貢国と明との国家間の位置づけを明確にすること(中華思想)と公私船の区別を行うことである。

当時の私船(民間貿易)は、倭寇に代表される手荒い貿易方法で、元 (王朝)の衰退を惹起させる程のもので看過できないものであった。
明は日本(幕府)に倭寇の取り締まりを求め、幕府も公船で貿易を行ない、私貿易を禁止すれば、既存の民間貿易の利得を幕府側で一手に引き受けることが可能になるという目論見から、勘合符を用いる貿易が推し進められることとなった。

明、朝貢国の双方が、勘合符と勘合底簿を持ち合う。
日明間では、日字勘合(日字号勘合)と本字勘合があり、本字勘合(百道:本字一号~百号)を日本の遣明船が明の港(寧波)に持参し、明の所有する本字勘合底簿と照合する。
遣明船は本字号勘合を1号から順次持参し,浙江の布政司(行政府)と北京の礼部で底簿と照合される。
逆に明側は日字勘合(百道日字一号~百号)を日本に持参し、日本側の所有している日字勘合底簿と照合する。

勘合符の実物は残されていないが、禅僧の天与清啓が明への渡航を記録した「戊子入明記」に「本字壱号」(本字壹號)の勘合符の例図が描かれている。

基本的には、朱墨の半印がされた文字と、筆記の漢数字(一方は朱:赤で記載)のある大きめの縦長(縦:82cm 横:36cm)の紙で、裏面には献上物、数、付帯貨物、正使以下の乗船者数などを記入したもの。
以下に実例を示す。

「宇字參拾参號半印勘合」
「宇字参拾伍號半印勘合」
「宇字肆拾貳號半印勘合」
「仁字第七十四號半印勘合符」
「義字第壹號半印勘合符」
「宙字参號半印勘合」

勘合符の第一号
応永11年(1404)明(永楽帝)使、足利義満に冠服・金印とともに「日本国王之印」のある永楽の勘合符を送る。

[English Translation]