匁 (Monme (A Weight Unit in The Japanese Traditional System of Weights And Measures))
匁(もんめ)とは、尺貫法における質量の単位である。
1匁は明治24年(1891年)公布の度量衡法により3.75グラムと規定されている。
この単位の公式の名称が「匁」になったのは明治時代のことで、それまでは銭と呼んでいた。
その名の通り、1文銭の重さに由来するものである。
北宋代以降の中国では、開元通宝(開通元寳との説もあり)と呼ばれる唐代の銭貨10枚の質量が24銖すなわち1両という基準でつくられ、1枚あたりの質量を「銭」と呼んだ。
従って1/10両=1銭となる。
ただし大量生産される鋳造貨幣というものは質量を一定に製作することは困難で(最大2倍程度のばらつきはある)、質量の基準が開元通寳というわけではない。
この単位が日本に伝わり、日本では、一文 (通貨単位)銭の目方であることから「文目」(もんめ)とも呼んだ。
「匁」という文字は銭と同音の「泉」の草書体、あるいは「文メ」を続けて書いたものに由来するとされている。
江戸時代には秤量銀貨の実測値が通貨単位として使用され、元禄13年(1700年)に丁銀60匁は小判1両に相当すると公定されたが、実態は市場経済による変動相場であった。
寛文5年(1665年)に度量衡の「衡」が統一され、両替商で用いられる分銅は後藤四郎兵衛家のみ製作が許され、これ以外のものの製作および使用は不正を防止するため厳禁とされた。
この分銅は「両」を基本単位としており、「匁」は補助単位であるが、秤量銀貨の通貨単位は、小判の通貨単位の「両」との混同を避ける意味から「匁」および「貫」が用いられた。
すなわち、伍両(ごりょう)の分銅と釣合う丁銀は銀50匁と表した。
このため質量の単位としては「匁」が普及した。
この当時の1匁は3.75グラムよりやや小さく3.74から3.75グラムの間である。
明治に入り、銭 (曖昧さ回避)は円 (通貨) の1/100の日本の補助貨幣の単位として使用することとなった。
これに伴い、明治4年(1871年)の新貨条例では質量の単位には匁が公式に採用され(ただし、第二次大戦前までは銭も併用されていた)、匁は貫の1000分の1と規定され、1匁=3.756521グラムと定められた。
その後、単位換算の便宜を図るため明治24年の度量衡法により、1貫=3.75キログラムと定められたので、1匁=3.75グラムとなる。
また古くから交易のあった中国の単位と、日本国内のものとは密接な関係があったわけであるが、呉承洛の『中国度量衡史』による隋代の1銭は4.1762グラム、唐代の1銭は3.7301グラムである。
1匁の1000倍が貫(かん)、10倍が両(りょう)、10分の1を分 (数)(ふん)、100分の1を厘(りん)、1000分の1を毛 (数)(もう)という。
ただし、分、厘、毛は正確に言えば割合(小数)を示すものである。
また「分」を「ぶ」と発音せず「ふん」と呼んだのは金貨の通貨単位である一分金(ぶ)との混同を避けるためである。
本来小数を表す漢数字は10分の1を分(ぶ)、100分の1を厘、1000分の1を毛(もう)で表すが、日本では1/10を表す歩合は「割」であり、これを基準にそれぞれ10分の1、100分の1とするため割合としての単位は100分の1が分、1000分の1が厘となる。
これは「両」が本来の質量の基本単位であったためである。
匁は貫とともに真珠の質量の単位として国際的に使われている。
これは真珠が日本の特産品であったことによるものである。
この場合はmommeと綴られ、momという記号が使われる。
日本の計量法では、尺貫法の単位はほぼ全廃されているが、匁だけは真珠の質量の計量に限定して使用して良い単位となっている(ただし表記は平仮名の「もんめ」である)。
また、日本の五円硬貨の質量は3.75gで、ちょうど1匁である。
なお、匁で表した値の1の位が0である場合には、匁の代わりに「目」(め)と書くことがある。
例えば30匁は三十目、300匁は三百目とも書く。
ただし、この「十目」「百目」は単位というわけではないので、例えば232匁を二百目三十二匁などとは書かない。
0以外の場合は必ず匁と書く。
すなわち、17匁を17目のようにはしない。
中国では現在でも「銭」が質量の単位となっており、メートル法採用後、1銭=5グラムと規定した。
10倍が両、10分の1が分であるのは日本と同じである。
(市制 (単位系)も参照)