大溝陣屋 (Omizo jinya (regional government office of the Omizo Domain))
大溝陣屋(おおみぞじんや)は滋賀県高島市高島勝野(近江国高島郡)にあった大溝藩の藩庁である。
概要
元亀3年織田信長が高島郡を進攻すると、天正7年(1579年)織田信澄が高島郡を領し、明智光秀の縄張りで大溝城が築かれた。
天正10年(1582年)本能寺の変で信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、大坂で殺害されてしまった。
信澄の後には、丹羽長秀・加藤光泰・生駒親正・京極高次と目まぐるしく城主が替わったが、京極高次が近江八幡へ転封となった後は無城主となっていた。
元和 (日本)5年(1619年)分部光信が伊勢国伊勢上野藩より2万石で入封した。
しかし、元和の一国一城令の対象となり、三の丸を残して大溝城を破壊してしまった。
分部氏は三の丸に陣屋を構え、11代続き明治維新を迎えた。
遺構
遺構として三の丸に建てられた陣屋の長屋門がある。
扉がないものの宝暦5年(1755年)大改修を施し、現存し、現在民家として使われているが、近年高島市が買い上げた。
なお、高島市指定文化財に指定されている。