宇佐山城 (Usayama-jo Castle)

宇佐山城(うさやまじょう)は滋賀県大津市錦織に残る、中世の山城である。
湖西周りで京に向かうには避けては通れない位置にあった。

概要

標高336mの高さがある、宇佐山にあり、琵琶湖を一望できる。

歴史

元亀元年(1570年)、朝倉氏の南進に備えるべく、琵琶湖と北国街道の押さえを意図する織田信長に命じられた森可成によって、近江国滋賀郡に築かれた。

同年、摂津国で勃発した野田城・福島城の戦いで織田軍主力が投入されている中、浅井氏・朝倉連合軍は信長の背後を突くべく進軍を開始。
城主・森可成は近江に居た野府城主・織田信治、青地茂綱らと共に交通の要所である坂本 (大津市)を先に占領して街道を封鎖して連合軍の進軍妨害を試みる。
そして9月16日に緒戦においては連合軍を撃退する。
しかし本願寺顕如の要請を受けた延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、9月20日にさらに数の膨らんだ連合軍の侵攻を受ける。
先鋒の朝倉景鏡を押し返すなど健闘を見せるが、浅井対馬・玄蕃の2千に側面から攻撃を仕掛けられる。
さらに朝倉中務、山崎吉家、阿波賀三郎の隊に加え浅井長政本隊もこれに加わったためついに崩れ森可成、織田信治、青地茂綱の3人は討ち死にする。

22日には摂津の信長にも知らせが届き、近江の情勢を知った信長はこの浅井・朝倉連合軍との対決を優先。
23日に「野田城・福島城の戦い」から織田軍主力を撤退させた。

その間、宇佐山城は坂本で森らを破った連合軍の猛攻を受けていた。
しかし、可成の部下である各務元正らが城兵と共に強硬に抵抗し、24日に信長が大津市が救援に現れるまでついに落城しなかった。

その後、この地を賜った明智光秀が入城するも、翌年坂本城を築いて移ったため廃城となった。

[English Translation]