寛政の遺老 (Iro (old retainers) in the Kansei era)
寛政の遺老(かんせいのいろう)とは、寛政の改革を主導した松平定信失脚後、定信によって取り立てられた松平信明 (三河吉田藩主)ら幕政を主導した政治家たちのことを指す。
寛政5年(1793年)、松平定信が老中を辞任すると、新たに老中首座には松平信明が就任した。
将軍・徳川家斉は若年のため、その後の幕政は信明をはじめ、戸田氏教、本多忠籌、牧野忠精、太田資愛、安藤信成ら寛政の改革時代に定信によって登用された老中たちによって主導されていくこととなった。
しかし文化 (日本)14年(1817年)に信明が死去し、牧野忠精ら他の老中らも老齢などの理由のために幕政から遠ざかることとなる。
このため、幕政は徳川家斉の側近・水野忠成に掌握され、その忠成のもとで収賄が横行し、家斉の奢侈も加わって幕府財政は大きく傾くこととなり、幕政は腐敗していくこととなる。