御牧藩 (Mimaki Domain)
御牧藩(みまきはん)は、山城国久世郡御牧(現在の京都府久世郡久御山町)に存在した藩。
概要
藩主家は津田氏である。
津田信成は織田信長の一族で、信長没後は豊臣秀吉に仕えて山城御牧に1万3000石を領していた。
秀吉没後は豊臣秀頼に仕えていたが、関ヶ原の戦い直前に徳川家康に急接近して東軍に与した。
戦功を挙げたために所領を安堵され、存続を許された。
しかし慶長12年(1607年)、美濃国清水藩の稲葉通重と共に京都の祇園に赴いたとき、茶屋の女房をはじめとする美女七十八名に乱暴狼藉を働いた経緯を家康に咎められた。
そして御牧藩は改易されてしまったのである。