朱印地・黒印地 (Shuinchi/Kokuinchi)
朱印地・黒印地(しゅいんち・こくいんち)とは、江戸時代に幕府・大名より神社・寺院の領地として安堵(領有権の承認・確認)された土地のことである。
朱印地は幕府より朱色の印が押された朱印状により、黒印地は大名より黒の印が押された黒印状により所領の安堵がなされたので、その名称がある。
朱印領・黒印領ともいう。
元々寺社は寺領・神領などと呼ばれる広大な所領を有していた。
しかし、戦国時代には諸大名により所領が次第に侵蝕されていき、豊臣秀吉の太閤検地によりそれが決定的となった。
江戸時代に入り、各寺社がかつて領有していた土地の一部が寺社に返還され、幕府・大名より朱印状・黒印状によってその所領が安堵された。
朱印地・黒印地は寺社の私有地ではなく公領という扱いであるが、領内の租税は免除されており、収益は全て寺社のものとなった。
しかし、その土地は最も広い日光東照宮でも1万石、最も狭いものではわずか1石であった。
このため、朱印地・黒印地からの収益だけで寺社の経営が成り立った例はほとんどなく、多くは自ら開墾した土地、あるいは大名などから寄進された米や金銭で経営を維持していた。
明治4年の「上知令」によって朱印地・黒印地は国有地とされ、寺社にはごくわずかの境内地だけが残された。