柳沢氏 (Yanagisawa Clan)

柳沢氏(やなぎさわし)は、日本の氏族(武士)。
清和源氏源義光流武田氏(甲斐源氏)の一族。
江戸時代の譜代大名。
家紋は柳沢花菱。

概要

柳沢氏が甲斐源氏の一族である甲斐一条氏の子孫が甲斐国北西部の武川筋に土着した武川衆と呼ばれる辺境武士団であった。
戦国時代 (日本)には甲斐守護武田氏の家臣となる。
武田氏滅亡後は武田遺臣として徳川家康に仕える。
柳沢安忠のときに駿河国大納言徳川忠長(徳川秀忠の子)の家臣となったが、忠長が兄徳川家光によって蟄居・幽閉に処せられたため浪人になった。
その後、安忠は上野国館林藩主(現在の群馬県館林市)徳川綱吉に仕えて勘定頭を務めた。
安忠の子柳沢吉保は綱吉の腹心となり、綱吉が5代将軍になると元禄元年(1688年)1万石を与えられて側用人になり、松平姓を許された。
宝永元年(1704年)甲府城主15万1200石となり、甲府藩主となる。
吉保の子柳沢吉里の代で大和国郡山藩(奈良県大和郡山市)に転封され、彼の家系は15万石の大名として幕末まで至った。
歴代当主は美濃国守あるいは甲斐守に任ぜられた。
明治時代に華族に列し、明治17年(1884年)柳沢保申が伯爵になった。
武田氏宗家の高家武田氏とは密接な関係にあり、保申の次男、武田信保が高家武田氏の当主を継ぎ、血筋が絶えることなく現在に至っている。

吉保の4男柳沢経隆は宝永6年(1709年)甲斐国八代郡(現在の山梨市・甲州市)に甲府新田藩1万石を与えられ、享保9年(1724年)越後国蒲原郡黒川(新潟県蒲原郡黒川村 (新潟県北蒲原郡)・現在の新潟県胎内市黒川)で黒川藩1万石の大名になり、幕末まで続いた。
明治17年(1884年)柳沢光邦が子爵になった。

また吉保の5男柳沢時睦も享保9年蒲原郡内(新潟県新発田市北部・北蒲原郡加治川村西部)において1万石を与えられて三日市藩主となった。
その後、上館(新発田市)に陣屋を移して幕末に至った。
明治17年(1884年)に柳沢徳忠が子爵になった。

[English Translation]