桂園時代 (Kei-En era (Katsura-Saionji era))
桂園時代(けいえんじだい/けいおんじだい)とは、大日本帝国陸軍・山縣有朋閥に属する桂太郎と、伊藤博文の後継者として立憲政友会総裁に就いた西園寺公望が、政権を交互に担当した1905年から1912年の8年間をいう。
「桂園」とは、両者の名前から「桂」と「園」の字をとったものである。
桂園時代は、桂に代表される官僚・軍部と西園寺に代表される有力政党である立憲政友会が「情意投合」と呼ばれる連携体制を組んで交互に内閣総理大臣に就任した(この間にも松方正義や山本権兵衛、平田東助などを首相に擁する動きはあったものの、両者以上の政権基盤を持たずにいずれも断念に追い込まれている)。
特に政治的に安定した時期とされ、期間中に行われた第10回衆議院議員総選挙、第11回衆議院議員総選挙は、いずれも任期満了に伴うものである。
2回連続で任期満了・総選挙が行われたのは、日本憲政史上においてこの時代だけである。
なお、「桂園」は和歌の流派名(桂園派。江戸時代後期の歌人、香川景樹が創始した。香川の号が桂園)とも係っている。
桂園派は、当時流行しつつあった冒険的な近代短歌に対して、当たり障りのない『古今和歌集』などの伝統を重んじる保守的な流派である。
その当たり障りのなさと、桂・西園寺間の馴れ合いをかけて、これを桂園時代と呼んだもの。