棚田 (Tanada)

棚田(たなだ)とは、傾斜地にある稲作地のこと。
傾斜がきつい土地で、耕作単位が狭い田が規則的に集積し、それらが一望の下にある場合は千枚田(せんまいだ)とも呼ばれる。
英語では、 rice terraces と表現される。

日本の棚田

生駒市西畑町棚田
この地区における耕作風景。
遠くで細長く小さな田んぼを耕耘機で作業している様子が分かる。

概要

日本の稲作の適地は、水はけが良く、水利が良い土地である。
土地には元々傾斜があるが、傾斜が少な過ぎる土地、および排水しづらい土地は湿地となるため水田不適地となる。
また、灌漑をする場合はある程度の傾斜が必要であり、傾斜が少ない河川下流域の沖積平野は、江戸時代以前は稲作をするのに不適当であった。
すなわち、近世以前の稲作適地は、地形で言えば洪積台地や河岸段丘の上、平地の分類で言えば盆地や河岸中流域など傾斜がある土地となり、集団化した農民が灌漑設備をつくって棚田をつくるのが一般的である。

近世以降は灌漑技術が向上し、傾斜が少ない沖積平野でも、水路に水車を設けて灌漑や排水が出来るようになり、現在、穀倉地帯と呼ばれるような河川下流域の平野での稲作が広まった。

江戸時代の西日本は、藩の規模が小さく、沖積平野も狭いところが多かったため、藩経済の基盤の石高を増やすために山間地にまで田圃がつくられ、現在でいう(急傾斜)棚田が多くつくられた。
その際、少しでも収量を増やすため、棚田の畔(あぜ)や土手(どて)の部分(土坡、どは)は、極限まで収量を上げるために急な傾斜に耐えられる石垣でつくられた。
一方、東日本は藩の規模が大きかったため、(急傾斜)棚田をつくる経済的インセンティブが働かず、棚田はあまりつくられないか、つくられた場合でも畔や土手は傾斜が緩やかな土盛りとなり、西日本とは対照的な棚田風景となった。
(東北地方・北陸地方などでは雪融け水が利用できるため、夏季の気温要件が充分なら可耕地が更に広く出来た。)
なお、東日本・西日本に関わらず、漁港の適地が海沿いの山に囲まれた入り江であることも多かったため、漁港から離れた平地の所有権争いに敗れた漁村では、漁港近くの山に漁民の主食用の棚田がつくられる例がみられる。
(対馬藩の場合は農業適地があまりにも少なかったため、李氏朝鮮から米を輸入していた。)

戦後は稲作の大規模化・機械化が推し進められ、傾斜に合わせて様々な形をしていた圃場は、農業機械が導入し易い大型の長方形に統一されて整備された。
(急傾斜)棚田ではこのような圃場整備や機械化は難しかったが、土木技術の進歩で大規模化に成功した山間地の棚田も多い。
ただし、西日本の(急傾斜)棚田では、大規模化をしようとすると斜面を大きく削らなくてはならず、のり面の土砂崩れ対策など付帯工事の費用が莫大となるため、大規模化されなかったり、営農放棄されたりして荒廃していくところも多く見られた。

なお、稲作には灌漑が必要であるため、現在残る(急傾斜)棚田でももちろん灌漑設備が整っている。
ただし、山間地にあるため河川は上流であり、日照りが続くと水量が簡単に減ってしまって水田が干上がってしまう問題があった。
そのため、最寄の河川以外からも用水路を延々と引いたり、ため池を築造したりして天水灌漑を行ったりした。
それらの方法が困難な場所は、田の地下に横穴を設け、湧き水や伏流水など地下に涵養された水を利用する場合もある。

棚田の定義

前項の記述の通り、近世以前の田圃は全て棚田だったため、歴史的には「棚田」と「田んぼ」の違いはない。

紀伊国伊都郡志富田荘(和歌山県かつらぎ町)の棚田の反別、収穫量を記した建武 (年号)5年(1338年)の高野山文書では、「棚田一反御得分四十歩ハ・・・」と棚田の文字がみえる。
(棚田学会)

群馬県沼田市で、古墳時代後期(6世紀中頃)の棚田遺構が見つかっている。

農林水産省の認定制度

現在、「棚田」といえば「急傾斜の山間地の階段状棚田」を指す。
そのため、農林水産省は傾斜の度合いで棚田を定義しており、機械化の度合いや農業文化についての規定はない。

農水省の定義

傾斜度が20分の1(水平距離を20メートル進んで1メートル高くなる傾斜)以上の水田を「棚田」として認定する。
認定された棚田は、助成金が交付される。

農水省と日本土壌協会が、1993年に行った現地調査では、農水省の定義による「棚田」は22万1067ヘクタールとされている。
この棚田の面積は当時の全水田面積の約8%を占めており、かなり一般的な水田形態であることが分かる。
しかし、この当時すでに12%が耕作放棄されていた。

棚田の高付加価値化

棚田では、その排水能力の高さから、ワサビなどの付加価値の高い商品作物を栽培している例も多い。
また、棚田でとれた米であることを前面に出してアピールしブランド商品化している例もある。

棚田の景観を維持、または、観光地としてのリピーター醸成のためにオーナー制度を導入している地域が多数存在する。
根拠法は市民農園整備促進法や特定農地貸付法。
「オーナー」は期限付きであり、農民の小作化ではない。
農民以外が農地を取得するのは、農地法上問題であるため、「オーナー」とは名ばかりであり、不動産取引でもない。
すなわち、「オーナー制度」はオプション取引にあたり、農村の副収入増加とリスクヘッジを達成できる。

棚田の営農特性

平野の圃場大型化整備の際に行われた田圃の所有権の整理が棚田ではされていないため、外部の者が一体的な風景に見える棚田の所有権はかなり複雑に入り組んでおり、1世帯あたりの耕作面積も少ない。
そのため、農業機械の導入には経済的負担が大きく、兼業化しないと農業を続けられないことも多い。
兼業には「世帯主」の兼業と「世帯」の兼業があるが、世帯の兼業では農業ノウハウを持った世帯主が農業に従事し、それ以外の子や孫が他業種で収入を得る。
世帯の兼業では子や孫に農業ノウハウが受け継がれないので、営農者の世代交代が進まず、営農の主体が高齢化し、最終的に営農放棄となる。
世帯主の兼業では、兼業しながらの営農法や家計ノウハウが受け継がれるため、営農放棄に至る確率は比較的低い。

棚田は1つの田当たりの耕作面積が小さく、「大型」農業機械の導入が困難である。
しかし、棚田まで、あるいは棚田間に舗装された道路を通すことで、「小型」農業機械の導入は可能である。
一般的に、1つの集落では同時期に同じ農作業が重なってしまうため、効率の悪い「小型」の方が集落全体での共有化が難しい。
しかし、棚田は山の上と下で農作業時期が微妙に違うため、平地の集落に比べて農業機械の共有化がし易い。
今まで農業協同組合(金融部門)は、貸付残高を増やすために戸別の農業機械導入を進めていたが、貸付リスクの少ない共有化に貸付の方向を変えており、棚田の農業システムに変化が起きている。

世界の棚田

世界各国で、米作を行っている山間地域には、ほぼ棚田のような耕作地を見ることができる。
中華人民共和国の雲南省、ベトナム、タイ王国、ネパール、インドネシア、フィリピンの棚田は特に有名である。

またフィリピンの中央山岳地帯 (ルソン島) にある棚田は、世界最大とも言われている。
この地域は、1995年にフィリピン・コルディリェーラの棚田群として国際連合教育科学文化機関の世界遺産(文化遺産)に登録されている。

日本の棚田百選

農林水産省は、農業収入や兼業のみでの棚田の維持が難しいと考え、観光地化を目的とした日本の棚田百選を選定した。
1999年7月16日に発表された百選には、全国117市町村・134地区の棚田が選ばれている。

百選には、傾斜度が20分の1よりも急で、いかにも「棚田」と思えるような場所が選ばれており、日本古来からの営農法が受け継がれていると考えがちであるが、実際は機械化が進んでいる。
しかし、「観光地」として選ばれたため、田植え体験や稲刈り体験など、古来からの農業体験をする場、または「グリーンツーリズム」の場として、農村の形態は変化している。

土坡で築かれた棚田で、耕作されている水田は375枚。
NPO法人大山千枚田保存会が1997年に設立。
多くの都市住民が保存会会員や棚田オーナーになっている。
豆腐づくりやみそづくりなど多彩な活動をしている。
文化庁の文化的景観の保存・活用事業の対象地域になっている。

2006年4月23日 - 棚田に酒米を植える「酒づくりオーナー企画」が始まった。
登録したのは今年も180人ほど。
今年で3年目。
都市住民と地元の農家など棚田の保存を望む人たちが田植えした。
苗は「総(ふさ)の舞」で清酒「棚田の舞」となってオーナーに渡される。
田植え、草刈り、稲刈り、ぐい飲みつくり、酒造工場見学根戸で交流を深める。

2005年(平成17年)11月の合併まで南牟婁郡紀和町。
1993年(平成5年)からの復元事業で耕作放棄田の810枚(2.4ha)が復元された。
地元農家が耕作する530枚(4.6ha)と合わせた棚田は1,340枚(7ha)。
石垣で築かれたこの棚田の段数は、100段近くある。
四分の一勾配(水平距離4m行って1m高くなる≒14度)という急傾斜で、上の田から下の田までの標高差は100mもある。
1601年(慶長6年)の検地帳には2,240枚あったと書かれているという。
棚田の維持・管理は丸山集落住民による千枚田保存会と財団法人紀和町ふるさと公社が関わっている。
丸山集落は戸数33戸。
住民の平均年齢は約70歳。
農作業は、集落住民と守る会会員、棚田オーナー(113組・517人)が参加する。

深野(松阪市)

約300万個の石で積み上げられた石垣の総延長は約120キロメートルに及ぶ。
「石の芸術」と呼ばれている。

[English Translation]