武家の棟梁 (Buke no Toryo)

武家の棟梁(ぶけのとうりょう)とは、武士集団の指導者のこと。

棟梁という言葉は今日では「大工の親方」という意味で用いられることが多いが、元は建物の屋根の主要部分である棟と梁を指していた。
棟と梁は建物の最も高い部分にあり、かつ重要な部分であるため、転じて国家などの組織の重要な人物を指し、また「頭領」・「統領」という表記も用いられた(『日本書紀』景行天皇51年(121年)条において武内宿禰を「棟梁之臣」と表現している)。

10世紀から11世紀にかけて、各地に「堪武芸之輩」・「武勇之人」と呼ばれる人々が現れて武門の源流となり、それを統率する人物を「武門之棟梁」と称した。
「武門之棟梁」は単一人とは限らなかったが、特に名声が高かったのは桓武平氏の平維時・平維衡・平致頼や清和源氏の源満仲・源頼光・源頼信らであった。
頼信の孫・源義家が称された「武士之長者」(『中右記』)も同様の意味であり、義家の子孫(河内源氏)は特に「天下第一武勇之家」と呼ばれた。
その後、平清盛率いる伊勢平氏がその地位を奪う。
しかし、源頼朝が鎌倉幕府を開いて「天下兵馬之権」を掌握して武家政権を確立すると、清和源氏-河内源氏の血を引く人物が「武家の棟梁=幕府の長・征夷大将軍」という図式が確立した。

ただし、地域単位における「武家の棟梁」も存続した例もある。
大和国の守護職を収めた興福寺の傘下にあった衆徒(大和武士)の指導者は幕府成立後も「棟梁」の地位を保ち、一乗院系の棟梁・筒井氏と大乗院系の棟梁・古市氏が互いに大和武士の指導者の地位を巡って争った。

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