治安警察法 (Security Police Law)
治安警察法(ちあんけいさつほう)は、かつて日本に存在した法律。
日清戦争の後、高まりを見せ始めていた労働運動を取り締まるために、それまで自由民権運動を念頭に置いて政治活動の規制を主な目的としていた集会及政社法に、労働運動の規制という新たな役割を付加した上で継承発展させる形で制定された。
沿革
明治33年(1900年)2月23日に制定、同年3月10日公布、3月30日施行された。
大正11年(1922年)、大正15年(1926年)一部改正。
昭和20年(1945年)、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の指令に基づき、昭和20年(1945年)11月21日「治安警察法廃止等ノ件(昭和20年勅令第638号)」により廃止となる。
内容
全33条より成る。
治安維持法とともに戦前の有名な治安立法として知られる。
第17条はストライキを制限するものであったが、大正15年(1926年)法律第58号により削除された。
また第5条では、軍人及び警官、神職僧侶や教員などと共に、女性が政党などの政治的な結社へ加入すること、また政治演説会へ参加し、あるいは主催するという、集会及び結社の自由を禁じた。
そのため同法制定直後には早くも改正を求める請願運動が起こる。
改正運動は執拗に続き、大正11年(1922年)3月には集会の自由を禁じた第5条2項の改正に至った(新婦人協会治安警察法第五条改正運動)。
しかし女性の結社権を禁じた5条1項は残されたため、婦人団体を中心に、治安警察法5条全廃を求める運動がその後も続いた。
この法令を施行し、それに反発する者を取締る為、今までの威圧的・牽制的な警察体制はますます強化され、戦前の警察による市民弾圧の側面もよりいっそう強まった。
そして市民の警察官に対する「厳つい」というイメージもよりいっそう強まっていった。