無文銀銭 (Mumon-ginsen Coin)
無文銀銭(むもんぎんせん)は、日本最古の貨幣といわれている私鋳銭銀貨。
実際には地金価値で取引されたと考えられるため、「貨幣」と認めるべきか否かは議論がある(江戸時代など後代になっても、豆板銀や丁銀等の銀の秤量貨幣が、西日本では使用されている)。
直径約3センチメートル、厚さ約2ミリメートル、重さ約8-10グラム(古代の1両の1/4にあたる6銖に相当(1両=24銖))。
今までに大和で7遺跡、近江で6遺跡、摂津・河内・山城・伊勢の地域で1遺跡ずつの合計17遺跡から約120枚出土している。
銀の延べ板を裁断加工して作られ、古銭の特徴である四角い孔がみられず、小さな孔があるだけである。
一般に「和同開珎」のような銭文はないが、「高志」「伴」「大」と刻まれたものも出土している。
表面に銀片を貼り付けてあるものが多く、重さを揃えるためだったとされる。
『日本書紀』683年の記事に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ。」とあり、富本銭以前に流通していた銀銭ではないかと考える説もある。
また、和同開珎が銀銭を先に発行していることと、無文銀銭との関係を指摘する説もある。
『日本書紀』顕宗天皇2年(486年)10月6日条に「稲斛銀銭一文」とあり、この時代の銀銭の使用を示すものであるとする見解もある。