直江状 (Naoejo (Naoe Letter))
直江状(なおえじょう)は、上杉家の家老・直江兼続が、徳川家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に、慶長5年(1600年)に送った書簡。
現在伝わっている直江状はいくつかあり、内容もそれぞれ微妙に異なっている。
原本は残っておらず、これらは後世の写しといわれている。
当時使われない文法や不自然な敬語の使い方など内容に疑問があるため後世の改ざん・偽作とする見方もあるが、増田長盛・長束正家等が家康に送った書状や『鹿苑日録』の記録から、承兌が受け取った兼続の返書が存在し、それにより家康が激怒したことは確かのようである。
偽作論争
明治・大正期の史家・徳富蘇峰は「関ヶ原役中の一大快文字だ。
否な豊臣の末期から、徳川の初期にかけて、かかる快文字は、ほとんどその比類がない」と絶賛したが、一九八〇年代には桑田忠親は「後世の好事家の偽作にすぎない」、二木謙一は「『直江状』と称する古文書までが偽作された」と唱えた。
具体的な根拠がないままの偽文書説だったが、九〇年代以降、宮本義己がこれに具体的な根拠を与えた。
一つには文言の問題がある。
「尊意安かるべく候」は「御心安かるべく候」、「申し宣ぶべく候」は「申し入るべく候」とあるべきとし、ほかにも体言止めの横柄な言い回しや敬念を欠いた略称の使用に疑問を投げかけた。
また、のちに石田三成の挙兵に加担する大谷吉継・増田長盛との関係がこの時点から強調される点も不自然と指摘。
「これほど的確に当時の政情を物語る文書も珍しい」としながらも、「後世の改ざんかねつ造」との見方を主張し続けている。
これに対し、桐野作人は以下のように反論。
①書状中に「可御心安候」という文言があることから直江は「尊意」とは明らかに区別して使用している。
②宮本氏が直江より身分的に上位とした承兌は、直江とは連歌をともにしており、また豊臣姓を賜っている直江は陪臣ではないため、二人の身分の上下を測るのは難しい。
敬語の用法がおかしいというより友人関係を反映した表現
③大谷・増田の箇所は宮本氏の誤読であり、二人が上杉の上洛問題に関わることと三成の挙兵とは関係はない。
豊臣政権の三奉行・三中老が家康の上杉征伐を諌めた連書状に「今度直江所行相届かざる儀、御立腹もっともに存じ候」とあることや、上杉景勝が重臣にあてた書状の内容が直江状に酷似している点などから、「多数の伝本があり、少なからず異同も見られるが、全体としては信用できる史料」とし、「(家康を挑発した)追而書だけは後世の偽作の可能性がある」との見方を示した。
今福匡は現存する写本を比較。
『「当時のままの字句」ではないという条件付きで、「直江状」の存在を容認したい』とし、追而書については笠谷和比古も指摘した「後代の偽作挿入の可能性」に留意しつつも、追而書のある直江状が徳川氏周辺から出ていることから、筆写の段階で欠落または意図的に削除された可能性を指摘している。