第1次伊藤内閣 (First Ito Cabinet)

第1次伊藤内閣(だい1じ いとう ないかく)は、参議の伊藤博文が初代内閣総理大臣に任命され、12月22日から4月30日まで続いた内閣 (日本)。
在任期間は、861日間。

太政官達第69号により太政官制を廃止し、代わりに創設された内閣制に基づいて成立した日本最初の内閣である。
内閣制の発足と同時にその運営について規定した内閣職権が制定された。

概要

来るべき、立憲君主制に備えた国家機構の確立を目指した。
いわゆる藩閥出身者が殆どを占め、長州藩・薩摩藩出身者が各4名ずつ入閣させる(ただし、薩摩閥の中核と見られていた黒田清隆は当初入閣せず)などのバランス重視型の布陣となった。

大日本帝国陸軍のドイツ式組織への改革や帝国大学令・小学校令などの制定に代表される教育改革、市町村制の確立などが行われ、伊藤自身も井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治と大日本帝国憲法草案を作成するなど、立憲体制への準備が着々と進められた。

だが、伊藤の盟友である井上馨外務大臣 (日本)が進めた条約改正案にあった「外国人裁判官」制度と鹿鳴館に代表される欧化政策が内外の反感を買い、自由民権運動による三大事件建白書や大同団結運動、保守中正派(天皇親政派)と見られた谷干城農商務大臣の辞任を招くなど、政府批判が一気に高まった(「明治20年の危機」)。
そこで伊藤はやむなく井上を辞任させて、政敵と言える大隈重信と黒田清隆をそれぞれ外務大臣・農商務大臣として入閣させ、保安条例を制定して自由民権派の弾圧に乗り出したが、憲法・旧皇室典範の制定事業に専念するために、総理大臣を辞して新設の枢密院議長に転じた。

[English Translation]