第3次伊藤内閣 (Third Ito Cabinet)

概要
地租増徴を目指して衆議院を解散したものの、政局運営に自信を失った前総理松方正義に代わって伊藤が組閣した。
だが地租増徴に反対する進歩党 (日本)と自由党 (日本)(日本 1890-1898)からの協力は得られなかったために、文部大臣・農商務大臣・逓信大臣を自派(「伊藤系官僚」)が、内務大臣 (日本)・司法大臣・陸軍大臣を山縣有朋系が占める超然内閣を作らざるを得なかった。

第5回衆議院議員総選挙では自由・進歩両党が圧勝、これに対して伊藤は選挙から僅か3ヶ月で再度衆議院を解散した。
だが、これに対して進歩党と自由党が合同して憲政党を結成、貴族院_(日本)も政権に非協力な態度を取った為に、伊藤は自らの政局運営の甘さの自覚と新党結成の決意を固めて、山県有朋らの反対を押し切って憲政会の大隈重信・板垣退助のいずれかを後継にするように上奏して内閣を総辞職した。

在任期間

在任 1898年(明治31年)1月12日 - 同6月30日

国務大臣

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