苗字帯刀 (Myojitaito)

苗字帯刀(みょうじたいとう)は、江戸時代の武士の身分表象。

家名の中でも特に知行の名前に由来し領主階級であることを示す名字を公称し(ということは苗字私称とは異なり本姓を有し)、打刀(大刀)と脇差(小刀)の2本の日本刀を腰に帯びること。
これによって領主階級であり、また武芸の家の者であることを示した。

なお、武士以外にも刀の所持そのものが禁止されたわけではなかった。
さらに装束としては脇差1本のみを腰に帯びることは武士でなくとも認められていた。
したがって、武士以外の苗字帯刀禁止によって百姓や町人などが完全に武装解除されたわけではない。
また、百姓、町人などは表向きは苗字を持たないことになっていたが、実際には江戸時代以前から伝えられた名字を私称していたケースも多々見受けられる。
宗門人別帳などの公文書への記載が許されなかったというのが実態に近く、私的な文書の色彩が強い墓碑銘や過去帳に遺されているケースもある。
また、苗字帯刀を許されていない庶民が藩に苗字を巡る訴訟を起こして藩が裁決を下している例もある。

また、大名・旗本などは、しばしば家柄や功労により領内の有力百姓や町人などにこれを許して、武士に準ずる者として扱った。
ただし、江戸幕府が認めた例は違い、当該領内のみ有効とされていた。
従って、佐原市の名主であった伊能忠敬は領内においては代々「伊能」姓を許されていたが、領外でこれを名乗ることが出来なかった。
57歳の時に蝦夷地測量の功績によって江戸幕府から改めて苗字帯刀の許可を得て佐原以外でも「伊能」姓を名乗ることが許されている。
また、苗字と帯刀の特権は一体ではなかった。
苗字は認められても帯刀は認められない例や苗字は子孫への伝承を許すが帯刀は授与された当人一代に限った例もある。

実際、村役人層などは百姓身分ながらも苗字帯刀を許される場合があり、なかには郷士(在郷武士)として遇される者もいた。

[English Translation]