蘭癖 (Ranpeki (people who devoted themselves to Dutch or Western learning))
蘭癖(らんぺき)は江戸時代、蘭学に傾注したり、オランダ式(あるいは西洋式)の習俗を憧憬・模倣するような人を指した呼び名である。
蘭癖の出現
徳川吉宗の享保の改革により、洋書輸入が一部解禁された。
このことから江戸中期以降、蘭学研究が盛んになった。
しかし、学問的な興味だけではなく、生活様式や風俗・身なりに至るまで、オランダ流(洋式)のものを憧憬し、模倣するような者まで現れるようになった。
そして、中には蘭語名まで持つ者まであった。
ただし、江戸時代中期から後期にかけての史料においては「蘭癖」という語の使用例は多くない。
幕末期にいたって、水戸藩など攘夷派から「西洋かぶれ」の意で、蔑称として用いられる例が多くなった。
そして、明治時代になって普及した語といえる。
すなわち「鎖国」などと同様に、明治以降になって普及した後に、それ以前の"蘭癖"的人物もこの語で形容されるようになったものであろう。
吉雄耕牛・平賀源内・大槻玄沢らのように、オランダ正月と呼ばれる、太陽暦で祝う正月行事などの西洋式習俗を楽しむ学者などもいた。
だが、蘭書やオランダの文物・珍品は非常に高価であった。
そして、購入には莫大な経済力が必要だった。
そのため、「蘭癖」と称される人物には、学者よりも大商人や大名、上級武士などが多い。
特に藩主の場合は「蘭癖大名」などと呼ばれる。
殿様趣味の枠を超えて、自ら蘭学研究を行ったり、学問の奨励するなどした。
文化的な評価は高い。
その反面、蘭学趣味が高じて藩財政を窮地に陥れるなどの傾向も見られる(もちろん例外もある)。
蘭癖大名の分布としては、主に九州の外様大名が多い。
これはオランダに開かれた港・長崎が近く、蘭書や輸入品の入手が容易だったことと無縁ではないだろう。
その点、関東に所領を持つ譜代大名の堀田正睦はかなり例外的である。
このような蘭癖大名の典型例として知られる代表的な人物として、薩摩藩主島津重豪が挙げられる。
重豪の子である奥平昌高・黒田長溥や、曾孫の島津斉彬もまた、重豪の影響を受けた。
そのためかそれぞれ蘭癖大名と称されるほどであった。
文明開化以降は、「西洋かぶれ」も珍しい物ではなくなった。
蘭癖と称されることもなくなった。
主な蘭癖の例
著名な蘭癖大名
細川重賢(熊本藩主、1721年 - 1785年)
島津重豪(薩摩藩主、1745年 - 1833年)
佐竹義敦(久保田藩主、1748年 - 1785年、曙山)
朽木昌綱(福知山藩主、1750年 - 1802年)
松浦清(平戸藩主、1760年 - 1841年)
奥平昌高(中津藩主、1781年 - 1855年、島津重豪の次男)
黒田斉清(福岡藩主、1795年 - 1851年)
島津斉彬(薩摩藩主、1809年 - 1858年、島津重豪の曾孫)
堀田正睦(老中・佐倉藩主、1810年 - 1864年)
黒田長溥(福岡藩主、1811年 - 1887年、島津重豪の九男、黒田斉清の養子)
鍋島直正(佐賀藩主、1815年 - 1871年)
大名以外
司馬江漢(絵師、1738年 - 1818年)
熊谷義比(長州藩御用商人、1795年 - 1860年)
山片重芳(升屋、大坂商人、仙台藩御用、山片蟠桃の主人)
渡辺崋山(田原藩家老、1793年 - 1841年)
三宅友信(田原藩主三宅康保の父、1793年 - 1841年)
江川英龍(伊豆国韮山代官、1801年 - 1855年)
村田政矩(佐賀藩家老、1815年 - 1874年)