西面武士 (Saimen no Bushi (group of warriors guarding west side of imperial palace))

西面武士(さいめんのぶし)とは、鎌倉時代、太上天皇に仕え、身辺の警衛、奉仕などにあたった武士集団のこと。

1200年ごろ、後鳥羽天皇が鎌倉幕府の軍事力に対抗して結成したとされる。
倒幕準備のために創設したとする説の他、武芸を好んだ上皇が鎌倉幕府とは関係なく創設したとする説もある。
院御所の西面に詰め所などがあったので、この名がついている。

関東や在京の御家人を中心に構成されており西日本の有力御家人、武勇に優れた武士が多く所属していた。
すでに上皇警護には白河天皇によって創設された北面武士があり、ともに院の軍事の中枢を担った。

1221年の承久の乱においては上皇軍として参戦したが、一ヶ月あまりで鎮圧された。
乱後、上皇の配流に伴い廃止された。

[English Translation]