辻斬 (Tsujigiri)
辻斬(つじぎり)とは、主に江戸時代に武士が街中などで無差別に通行人を刀で斬ること。
中世から見られるが、特に戦国時代 (日本)から江戸時代前期にかけて頻発した。
1602年(慶長7年)江戸幕府も辻斬を禁止し、犯人を厳罰に処することにした。
辻斬りをする理由としては刀の切れ味を実証するためや、単なる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試す為などがある。
また、1000人の人を斬る(千人斬り)と悪病も治ると言われる事もあった。
『八十翁疇昔物語』によれば、番町方の長坂血鑓九郎、須田久右衛門の屋敷と、牛込方の小栗半右衛門、間宮七郎兵衛、都築又右衛門などの屋敷とのあいだは、道幅100余間もあった。
草の生い茂った淋しい原であったので、毎夜辻斬りがあったという。
『甲子夜話』第1巻には、「神祖駿府御在城の内、江戸にて御旗本等の若者、頻りに辻切して人民の歎きに及ぶよし聞ゆ。(省略)所々辻切の風聞専ら聞え候、それを召捕候ほどの者なきは、武辺薄く成り行き候事と思召候。いづれも心掛辻切の者召捕へと御諚のよし申伝へしかば、其のまま辻切止みけるとぞ」とある。