鎌倉府 (Kamakurafu)
鎌倉府(かまくらふ)とは、南北朝時代 (日本)から室町時代にかけて、室町幕府が関東を統治するために設置した政庁である。
後醍醐天皇が建武の新政の一環として関東統治を目的に皇子・成良親王を奉じて鎌倉へ下向させて創設した鎌倉将軍府が起源。
幼い親王に代わって実権は足利直義に握られ、やがて室町幕府の関東の出先機関となる。
観応の擾乱が発生すると、足利尊氏は子である足利基氏を鎌倉へ派遣した。
以来基氏の子孫が鎌倉府の長官(鎌倉公方)となり、関東管領として上杉氏が代々補佐した。
管国は関東地方と伊豆国・甲斐国で、1392年に陸奥国・出羽国が追加された。
鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏はやがて対立し、1439年の永享の乱では関東管領は将軍足利義教方についた。
この乱における第4代鎌倉公方足利持氏の敗死によって鎌倉府は長官が一時不在となった。
その後、持氏の遺児足利成氏が鎌倉公方となるが、享徳の乱を起こして上杉氏や今川氏によって鎌倉を追われて古河御所(古河公方)に逃れた。
代わりに派遣された足利政知(義教の子)も上杉氏との確執から伊豆の堀越御所(堀越公方)に根拠を定めたために鎌倉府は事実上消滅した。