防人 (Sakimori)
防人(さきもり)は古代中国や、日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度である。
中国の防人
中国では辺境領の警備のために設置され、農村から徴兵された。
任期は3年だが、延長される事もしばしばあった。
食料・武器は自弁であった。
日本の防人
日本の防人は、大化の改新の後、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵である。
中国同様、任期は3年で諸国の軍団から派遣され、任期は延長される事がよくあり、食料・武器は自弁であった。
大宰府がその指揮に当たった。
主に人口の多い東日本から徴兵され、その間も税は免除される事はないため、農民にとっては重い負担であり、兵士の士気は低かったと考えられている。
757年以降は九州からのみの徴用となる。
平安時代に入り、桓武天皇の792年に健児の制が成立して軍団、兵士が廃止され、国土防衛のため兵士の質よりも数を重視した朝廷は防人廃止を先送りした。
実際に防人軍団の外国勢力との交戦は、1019年に中国沿海地方の女真族が対馬から北九州を襲撃した刀伊の入寇の1度だけである。
院政期になり北面武士・追捕使・押領使・各地の地方武士団が成立すると、質を重視する院は次第に防人軍団の規模を縮小し、大宰府消滅とともに消えていった。
奈良時代に成立した『万葉集』には防人のために徴用された兵や、その家族が詠んだ歌が100首以上収録されており、防人歌と総称される。
関東地方など東国の言葉が使われている事も多く、東歌ともに古代の生活様相を伝えている。