院宮王臣家 (Engu oshinke)
院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)とは、平安時代初期(8世紀末~9世紀ごろ)、天皇権力と結びついて勢力を強めた少数の皇族・貴族の総称。
「院宮王臣家」の「院」とは太上天皇、「宮」とは三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・東宮(皇太子)を指す。
また、「王臣家」とは親王・内親王などの皇親や、おおむね従五位以上の貴族をそれぞれ指している。
平安時代になると公地公民制は事実上崩壊していた。
また、公営田や官田などの直営田や、諸司田・勅旨田・賜田などの私有地が増大していた。
院宮王臣家は下級官人を家人化し,有力農民を保護することで、これらの私有地の集積を進めていった。
この動きは、初期荘園から寄進地系荘園(内部リンク「荘園」を参照)への移行を如実に表すものである。
なお、類した表現として「権門勢家」があるが、これは院宮王臣家だけでなく、宗教勢力や武家勢力をも含む上位概念である。