隣組 (Tonarigumi (neighborhood association))

隣組(となりぐみ)
かつて日本にあった制度で、1940年に初めて明文化された。
町内会のさらに下にあり数家庭ごとに一組を組織し、配給の効率化や思想統制を図った。
本項で詳述する。

岡本一平作詞(作詞著作権消滅)、飯田信夫作曲で、徳山璉が歌った歌謡曲の名前である。
戦時中の隣組制度を宣伝啓発する歌詞であり、また国民への宣伝啓発のため明るく元気のある曲調に仕上がっていることから、「ドリフ大爆笑」のテーマ、にも用いられている。
「隣組 (歌)」(歌詞は隣組 (歌曲))を参照。
隣組は、日本の昭和期において戦時体制の銃後を守る、国民生活の基盤の1つとなった官主導の隣保組織である。

国家総動員法、国民精神総動員運動、選挙粛清運動と並び、前年に決定し1940年(昭和15年)に内務省 (日本)が布告した「部落会町内会等調整整備要綱」(隣組強化法)によって制度化される。
5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦争での住民の動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った。
第二次世界大戦、太平洋戦争の敗戦後の1947年(昭和22年)、連合国軍最高司令官総司令部により解体された。

現在でも、回覧板の回覧など、隣組単位で行なわれていた活動の一部は、町内会・区(政令指定都市の区ではない)・自治会に引き継がれている。
地方によっては、単身者や核家族が居住するワンルーム・マンションの増加など、近隣地域と住人の関係が疎遠になる例もあり、地元神社の氏子への加入や、祭礼の寄付などをめぐり問題を生じている地域もある。

京都市内など一部の地域では現在でも隣組が残っている(→京都の元学区元学区の位置づけ)。

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