冷泉家時雨亭文庫 (Shigure-tei Bunko (the Shigure-tei storehouse/library of the Reizei family))
財団法人冷泉家時雨亭文庫(れいぜいけしぐれていぶんこ)は、藤原定家の子孫であり、歌道の家として知られる冷泉家(上冷泉家)に伝わる古写本、建築、年中行事などの文化遺産を保存し、冷泉流古今伝授を継承することを目的として設立された。
主たる事務所の所在地は京都市上京区今出川通り烏丸東入ル玄武町。
概要
冷泉家は、藤原定家の孫・冷泉為相(ためすけ)を初代とする。
藤原道長の6男である藤原長家を祖とする御子左家(みこひだりけ)は、勅撰和歌集の撰者であった藤原俊成・定家以来、和歌の家としての格式をもっていた。
藤原定家の子である藤原為家の死後、御子左家の家系は為家の嫡男為氏を祖とする二条家(五摂家の1つである二条家とは別系)、次男為教を祖とする京極家、三男為相を祖とする冷泉家の3家に分かれた。
このうち二条家と京極家は中世に断絶し、俊成・定家の血統を伝えるのは冷泉家のみとなった。
冷泉家の初代である為相は、父為家とその後妻の阿仏尼との間に生まれた子である。
為家は、長男為氏に与えるはずであった所領や伝来の歌書などを末子・為相に相続させている。
これは、為家が自分が60歳代になってからの子であった為相の行く末を案じたためであると言われているが、所領十六夜日記の所有権に関しては、冷泉家と二条家の間で長らく争論があった。
上冷泉家の屋敷は京都御苑の北、今出川通に南面し、東・北・西の三方は同志社大学の敷地に囲まれている。
この一帯は、豊臣秀吉の都市計画により公家屋敷が集中していた地域であったが、現存するのは冷泉家住宅のみである。
下冷泉家の屋敷は京都御苑内にあった。
上冷泉家は慶長11年(1606年)にはこの地に屋敷を構えていたことが知られる。
天明8年(1788年)の京都の大火による焼失後、寛政2年(1790年)に再建されたのが、現存する冷泉家住宅(重要文化財)である。
なお、古写本を多く伝えてきた土蔵「御文庫(おぶんこ)」は、天明の火災を免れたものと思われる。
近代に入って1917年には今出川通の拡幅工事に伴い曳家(ひきや、建物を解体せずに平行移動させること)が行われ、敷地も縮小したが、各建物の配置などは旧状をよくとどめているという。
上冷泉家の「御文庫」に保存されてきた古文書・古写本類は、一部研究者にはその存在が知られていたが、長らく非公開とされ、一般にその存在が知られるようになったのは1980年からである。
同年より平安博物館(現京都文化博物館)によって冷泉家所蔵本の整理・目録作成が始められ、徐々にその全体像が明らかにされてきた。
冷泉家所蔵本は、俊成・定家の自筆本や、定家の自筆日記『明月記』をはじめ、日本文学や日本中世史の研究上、貴重な資料の宝庫である。
また、冷泉家住宅は近世以前の公家住宅の現存唯一の遺構として貴重なものである。
こうした有形文化財に加え、乞巧奠(きっこうてん、七夕)のような昔ながらの年中行事や和歌の家としての伝統を保持するため、財団法人冷泉家時雨亭文庫が設立された。
「時雨亭」は、定家が京都の小倉山に構えた山荘の名である。
冷泉家住宅の公開
住宅、古写本とも長らく一般公開はされてこなかったが、1994年から2000年にかけて「平成の大修理」が行われたことを受け、冷泉家住宅のみ2001年秋に抽選の当選者に限って初めて5日間公開された。
2005年以降は毎年秋に4日間に限って主催の「非公開文化財特別拝観」の一環として、冷泉家住宅の一般公開が行われており、有料ではあるが予約・抽選などは無く誰でも見学ができる。
なお公開は台所土間以外は住宅外から室内を見学する形となり、室内に上がることはできない。
室内には絵画や工芸品などの展示が行われる。
「御文庫」と「台所蔵」の内部の公開はされず、外観のみの見学となる。
国宝
古今和歌集(藤原定家筆)1帖 附:後土御門天皇宸翰消息・後柏原天皇宸翰詠草・後奈良天皇宸翰消息1巻
後撰和歌集(藤原定家筆)1帖
拾遺愚草(藤原定家自筆本)3帖 附:草稿断簡1幅-定家の自撰歌集。
中世以前の歌人の自撰・自筆の歌集としては日本で唯一のものである。
古来風躰抄(藤原俊成自筆本)2帖
明月記(藤原定家自筆本)58巻1幅 附:補写本1巻、旧表紙(10枚)1巻
重要文化財(典籍)
時明集(ときあきらしゅう)1帖-平安時代の人物、讃岐守時明が女房らと詠み交した歌を集めたもの。
平安時代の写本。
豊後国風土記-鎌倉時代の写本。
公卿補任(くぎょうぶにん)(藤原俊成・定家筆)
私家集 39帖-鎌倉時代、藤原資経筆。
藤原道長など38人の人物の私家集(個人歌集)である。
私家集 6帖-鎌倉時代
後拾遺和歌抄 1帖-鎌倉時代
後拾遺和歌抄(藤原為家筆)1帖
周防内侍集(藤原俊成筆)1帖
貫之集 1巻-平安時代
正中二年七夕御会和歌懐紙(12通)1帖-鎌倉時代
元徳二年七夕御会和歌懐紙(24通)1帖-鎌倉時代
和歌初学抄(藤原為家筆)1帖
伊勢物語 1巻 - 藤原定家筆本に基づく鎌倉時代の写本
文選 1巻-鎌倉時代の写本。
源家長記 1帖-鎌倉時代の歌人源家長回想形式の日記の写本。
私家集(承空本)43冊-鎌倉時代の浄土宗の僧・承空筆。
山部赤人、大伴家持、小野小町など約40人の人物の私家集(個人歌集)である。
仲文集(藤原定家筆)1帖-三十六歌仙の1人藤原仲文の家集(歌集)の写本。
恵慶集(えぎょうしゅう)(藤原定家筆)1帖-平安時代の歌僧・恵慶の家集(歌集)の写本。
散木奇歌集(巻頭と奥書のみ藤原定家筆)1帖-平安時代の歌人源俊頼の家集(歌集)の写本。
残集 1帖-西行の歌集の鎌倉時代の写本。
集目録(藤原定家筆)1巻-定家が自ら筆写または校訂した歌集の自筆目録。
寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおおんとき きさいのみやのうたあわせ)(藤原定家・為家筆)1巻
五代簡要-万葉集、古今和歌集などの歌の句を抜書きしたもの。
藤原定家編。
鎌倉時代の書写。
新古今和歌集-鎌倉時代、文永11年(1274年) - 文永12年(1275年)の筆写。
嘉元百首 2巻
文保百首 21巻
永徳百首 12巻
素性集(色紙)1帖-素性の家集(個人歌集)の平安時代末期の写本で、色変わりの装飾料紙に書かれている。
素性集(唐紙)1帖-素性の家集(個人歌集)の平安時代末期の写本で、色変わりの装飾料紙に書かれている。
簾中抄(れんちゅうしょう)1帖-平安時代の歌人藤原資隆が著した故実書『簾中抄』の鎌倉時代の写本。
新古今和歌集(隠岐本)1帖-鎌倉時代の写本。
大鏡 巻第二、五、七 3帖-鎌倉時代の写本。
朝儀次第書 3巻、107帖、3幅、4紙、1点-鎌倉~江戸時代
勅撰和歌集 12帖、9冊、12紙-冷泉家に伝わる『古今和歌集』から『続後撰和歌集』までの勅撰和歌集の写本を一括指定したもの。
私家集 4巻83冊196帖-冷泉家に伝わる私家集(個人歌集)写本を一括指定したもの。
冷泉家歌書類 38巻147冊52帖11幅
万葉集 巻第十八(金沢文庫本)1帖
物語ならびに注釈書 物語類8冊2帖、伊勢物語ならびに注釈書13冊3帖、源氏物語ならびに注釈書1巻38冊2帖
宴曲 24帖
袖中抄 12巻
重要文化財(古文書)
後光厳天皇宸翰書状 1巻 附:二条良基自筆書状1通
藤原定家自筆申文草案 1巻
藤原為家自筆譲状(4通)1巻
冷泉家文書 278通
台記 1巻-藤原頼長の日記「台記」の鎌倉時代の写本。
長秋記(藤原定家書写)4巻-源師時の日記「長秋記」の写本。
重要文化財(建造物)
冷泉家住宅
座敷及び台所(1棟)
御文庫
台所蔵
表門
宅地1,470.5平方メートル
附土塀、庭塀、供待及び台所門、立蔀
なお、主要な典籍については冷泉家時雨亭叢書として影印本が朝日新聞出版から刊行されている。