大友黒主 (OTOMO no Kuronushi)
大友 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人。
六歌仙の一人で、六歌仙の中で唯一小倉百人一首に撰ばれていない。
近江国滋賀郡大友郷の人。
貞観 (日本)年間、園城寺神祀別当となる。
また、大嘗祭に風俗歌、宇多天皇の石山寺参詣に歌を献上して賞された。
「古今和歌集」に三首の和歌が収録されている。
「後撰和歌集」「拾遺和歌集」にも和歌が収録されている。
鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。
大伴黒主と記載される事もあるが、古代豪族の大伴氏ではなく、大友皇子(弘文天皇)の末裔と伝えられている。
出自に関して、『本朝皇胤紹運録』に「大友皇子─与多王(大友賜姓)─都堵牟麿─黒主」と系図を掲げる。
しかし、皇裔とするのは誤りで、そのことは、『古今和歌集目録』に「大伴黒主村主」、また『天台座主記』第一巻安慧和尚譜に「(滋賀郡)大領従八位上大友村主黒主」とあることから明らかである。
大友村主氏は諸蕃(渡来人の子孫)で、『続日本後紀』承和 (日本)四年十二月条に「後漢献帝苗裔也」とある。
古今和歌集仮名序では、「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。
主な詠歌は以下のとおり。
春さめのふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ(古今集88)
思ひいでて恋しきときははつかりのなきてわたると人知るらめや(古今集735)
鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると(古今集899。左註に黒主の歌かとする説を記す)
近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(古今集1086)
白浪のよする磯間をこぐ舟の梶とりあへぬ恋もするかな(後撰集670)
玉津島深き入江をこぐ舟のうきたる恋も我はするかな(後撰集768)
何せむにへたのみるめを思ひけん沖つ玉藻をかづく身にして(後撰集1099)
我が心あやしくあだに春くれば花につく身となどてなりけむ(拾遺集404)
さく花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきの入るも知らずて(拾遺集405)