延慶両卿訴陳状 (Enkei Ryokyo Sochinjo (Petition by Two Nobles of the Enkei Era))
延慶両卿訴陳状(えんけいりょうきょうそちんじょう)は、延慶 (日本)4年(1311年)、勅撰和歌集の選者として京極為兼が擬せられると、二条為世がこれに反対して訴陳し、すると為兼はこれに反発し、為世がこれにさらに駁したものである。
群書類従所収。
概要
為世は、自分は二条流の嫡流で代々の歌書を相伝し、父祖に親しく学び正系を伝える。
しかし、為兼は庶流であってそうではなく、庶子で選者になった先例は無い。
かつて三代集の作者の源当純を常純に誤ったことがある。
またさきに佐渡に配流された為兼を選者とするのは不吉である。
このように列挙して異議を申し立てた。
為兼は、訴状を奉って、ひとつひとつに駁した。
歌道は嫡庶の次第や官位の浅深にこだわるものではない。
為世は選歌が拙ない。
誇称する相伝本は信ずべからず怪しい。
歌学は浅く、不才、非器、とうてい選者の資格は無いと反発した。
為兼の訴状に対してさらにかさねて為世から反駁上奏された訴状を役人が抄出した。
これが延慶両卿訴陳状である。
結局のところ、為兼が勝ちをおさめ、1人で玉葉和歌集を選進した。