枕草子 (Pillow Book)
『枕草子』(まくら の そうし)は、平安時代中期の女流作家、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。
「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記され、最古の鎌倉時代の写本前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。
『清少納言記』などとともいった。
文学史上の位置づけ
『源氏物語』に比肩する中古文学の双璧として、後世の連歌・俳諧・仮名草子に大きな影響を与えた。
鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』と並んで日本三大一覧歴史・風刺と称される。
極めて独特な体裁をとり、先行する晩唐の詩人李商隠(字は義山)の編んだ『義山雑纂』に多少の類似が指摘されるほか、類書は見当たらない。
書名の由来
巻末の跋文によれば、執筆の動機および命名の由来は、内大臣藤原伊周が妹中宮藤原定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上した時、「帝の方は『史記』を書写なさったが、こちらは如何に」という宮の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」と即答した。
そして、そのまま宮から紙を下賜されたことによる。(三巻本系による、なお、能因本欠本「枕にこそはし侍らめ」、能因本完本「これ給いて枕にし侍らばや」堺本・前田本には該当記事なし)
「枕草子」の名もそこから来るというのが通説である。
林和比古『枕草子の研究』によれば自説と過去の契沖、折口信夫、池田亀鑑などの研究者を挙げている。
次に枕の意味について代表的な説を述べる。
寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの枕」という詞を踏まえた洒落
作家用事典説:歌枕、心得、用語を羅列した章段が多いため
備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味
秘蔵本説
無関係説
ただし未だ通説はない。
また、『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられた。
成立経過
初稿の成立は同じく跋文によれば長徳二年(996年)頃で、左中将源経房が作者の家から持ち出して世上に広めた。
その後も絶えず加筆され、寛弘末年頃に執筆されたと見られる文もある。
源氏物語の古註『源氏物語紫明抄』に引かれる『枕草子』の本文には現存本にないものもあり、複雑な成立過程を思わせる。
伝本間の相異はすこぶる大きい。
三巻本
雑纂形態をとり、三巻からなる。
耄及愚翁という藤原定家と思しき人物による安貞二年(1228年)の奥書を持つ諸本。
「文意あざやかにて」解読しやすく、最も古態に近いと考えられている。
なお、池田亀鑑により2種類に区別された。
第1類本(甲類) - 「春は曙」をはじめとする冒頭の70話が脱落し「ここちよげなるもの」から始まる伝本。
230話。
陽明文庫蔵本、宮内庁書陵部図書寮蔵本、高松宮家蔵本
第2類本(乙類) - 300話。
弥富破摩雄旧蔵本、刈谷図書館蔵本、伊達家旧蔵本、勧修寺家旧蔵本、中邨秋香旧蔵本、古梓堂文庫蔵本
能因本
清少納言と姻戚関係にあった能因法師(姉妹の一人が清少納言の実子・橘則長の室)が伝来に関係したとされる系統。
鎌倉時代末期頃に遡る。
三巻本との間で善本論争が繰り広げられた結末、現在は能因本の源流本が劣ることがほぼ定説となっている。
冒頭の70話を除く230話本。
300話本
堺本
類纂形態をとる。
室町時代の伝本。
堺に住む隠遁僧である道巴の所持本を清原枝賢が書写したとの後記があるため堺本の名がある。
二巻。
日記・回想章段を欠く。
後光厳院本 - 190話。
後光厳天皇が写したとの後記がある。
宸翰本。
95話本。
上記2種を併せたもの。
一般にいう堺本はこれを指す。
前田本
1巻107話。
2巻89話。
3巻102話。
4話32話。
5巻紛失?
類纂形態をとる。
加賀国、前田家伝来本(前田育徳会蔵)があるのみ。
金蒔絵の箱に入っており箱には金象嵌で『清少納言枕草子』とある。
重要文化財である。
鎌倉時代前期の書写で『枕草子』写本中最古のものとされる。
このうち、堺本系後光厳院本は『群書類従』に上下分冊、堺本の3種目は『新校群書類従』に収録。
また、能因本は江戸時代初期(寛永年間)の古活字版に底本として利用されたため、『枕草子傍注』や『枕草子春曙抄』(北村季吟註)といった注釈書とセットになって近代まで伝本の主流を占めた。
しかし、昭和21年(1946)になって、田中重太郎(1917-1987年)によって三巻本第2類本が再評価され、第二次大戦後はもっぱらその方が出版、教科書採用され読まれる状況となった。
ほかに、詞書の文章に三巻本伝本を使用したと見られる、鎌倉時代後期成立の白描画の絵巻物『枕草子絵詞』も七段分が現存する。
内容
三巻本第2類本は併せて300余の独立した章段を持つ。
「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものはづくし」の「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」、作者が出仕した定子皇后周辺の宮廷社会を振り返った「回想章段」(日記章段)など多彩な文章から成る。
もっとも、分類の仕方が曖昧な章段(例えば第一段「春は曙」は、通説では随想章段に入るが異議もあり)もある。
平仮名を駆使した和文の簡潔な口語体で書かれ、総じて軽妙な筆致の短編が多いが、中関白家の没落と主君・定子皇后の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もある。
作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、『源氏物語』の心情的な「もののあはれ」に対し、知性的な「をかし」の美世界を現出させた。
評価
肯定的評価
枕草子は人間存在、自然を共に深く愛した故に、それを、それぞれの位相において、多種多彩の美として享受・形成した(目加田さくを)。
次から次へと繰り出される連想の糸筋によって、各個の章段内部においても、類想・随想・回想の区別なく、豊富な素材が、天馬空をゆくが如き自在な表現によって、縦横に綾なされている(荻谷朴)。
「季節-時刻」の表現(春は曙など)は、当時古今集に見られる「春-花-朝」のような通念的連環に従いつつ、和歌的伝統に慣れ親しんだ読者の美意識の硬直性への挑戦として中間項である風物を省いた斬新なものである(藤本宗利)。
中宮定子への敬慕の念の現れである。
道隆一族が衰退していく不幸の最中、崩じた定子の魂を静めるために書かれたものである。
故に道隆一族衰退の様子が書かれていないのは当然である(同上)。
自賛談のようにみえる章段も、(中略)中宮と中宮を取り巻く人々が失意の時代にあっても、天皇の恩寵を受けて政治とは無縁に美と好尚の世界に生きたことを主張している(上野理)。
批判的評価
清少納言の出身階級を忘れひたすら上流に同化しようとした浅薄な様の現れである(秋山虔)。
(自分の親族身分のみならず身分が高い者に対しても敬語がないため)
「定子後宮の文明の記録」に過ぎず、「個」の資格によって書かれたものではない(石田穣二)。