破戒 (小説) (Hakai (Novel))

『破戒』(はかい)は、島崎藤村の長編小説。
1905(明治38)年、小諸時代の最後に本作を起稿。
翌年3月、緑陰叢書の第1編として自費出版。

被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ、ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、日本自然主義文学の先陣を切った。
夏目漱石は、『破戒』を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」(森田草平宛て書簡)と評価した。

あらすじ

明治後期、被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育った。
その戒めを頑なに守り成人し、小学校教員となった丑松であった。
が、同じく被差別部落に生まれた解放運動家、猪子蓮太郎をひた隠しに慕うようになる。
丑松は、猪子にならば自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎる。
やがて学校で丑松が被差別部落出身であるとの噂が流れ、更に猪子が壮絶な死を遂げる。

その衝撃の激しさによってか、同僚などの猜疑によってか、丑松は追い詰められた。
そして遂に父の戒めを破りその素性を打ち明けてしまう。
そして丑松はアメリカのテキサスへと旅立ってゆく。

他の作品への影響
この作品(特に丑松が生徒に素性を打ち明ける場面)は、住井すゑの『橋のない川』でも取り上げられ、誠太郎をはじめとする登場人物の間で話題に上っている。
この中で誠太郎は、丑松が素性を打ち明ける際、教壇に跪いて生徒に詫びていることを批判的に捉えている。
『橋のない川』も『破戒』同様、部落差別を扱った作品である。
が、両者の差別に対する考え方あるいはスタンスは正反対と言ってよいほどに異なる。

事実、現在の差別問題に関する認識、見解、解放運動のベクトルは様々で、この問題のある一定以上の捉え方は非常に難しいものである。
問題の性質が性質なだけに、腫れ物を触る行為になりかねない。
それがこの問題の理解を深めるにあたり障壁になる部分であるともいえる。

出版史
自費出版されたこの作品は、1913年4月、高額(当時の2000円)で新潮社が買い取り出版した。
次に出版されたのは1922年2月で、『藤村全集』第3巻(藤村全集刊行会)に収録された。
藤村は巻末に「可精しく訂正」したとしているが、実際には多少の語句の入れ替えを行ったのみであった。

1929年には、『現代長編小説全集』第6巻(新潮社)の「島崎藤村篇」で「破戒」が収録された。
ここにおいては、藤村はこの作品を「過去の物語」としている。
これは当時、全国水平社が部落解放運動を展開し、差別的な言動を廃絶しようとする動きがあったことを意識している。
これも一部の組織から圧せられて、やがて絶版になったという。
水平社は後に言論の圧迫を批判し、『破戒』に対しても「進歩的啓発の効果」があげられるとし、評価している。
そして1938年に、「『破戒』の再版の支持」を採択した。

こうして翌年『定本藤村文庫』第10篇に「破戒」が収録された。
が、藤村はその際に一部差別語などを言い換えたり、削除している。
これを部落解放全国委員会が、呼び方を変えても差別は変わらないとして批判した。
1953年、『現代日本文学全集』第8巻(筑摩書房)の「島崎藤村集」に、初版を底本にした「破戒」が収録された。
委員会は、筑摩書房の部落問題に悩む人々への配慮のなさを指摘し、声明文を発表した。
1954年に刊行された新潮文庫版『破戒』も、1971年の第59刷から初版本を底本に変更している。

[English Translation]