能因 (Noin)
能因(のういん、永延2年(988年)- 康平元年(1058年)頃?)は、平安時代中期の僧・歌人。
俗名は橘永愷(たちばなのながやす)。
実父に関しては二説ある。
橘忠望であるとするものと、忠望の子である橘元愷(もとやす)がそれで、一族の為愷の養子となったとするものである。
没年も1050年や1058年の説があり不詳。
中古三十六歌仙の一人。
文章生で肥後進士と号したが、出家した。
藤原長能(ふじわらのながとう)に師事し、大江嘉言(おおえのよしとき)・源道済(みなもとのみちなり)などと交流している。
甲斐国や陸奥国などを旅し、多くの歌を残した。
「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に65首が入集している。
歌集に「能因集」があり、ほかに私撰集「玄々集」、歌学書「能因歌枕」がある。
小倉百人一首
69番 あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり(「後拾遺集」秋・366)