葦原中国平定 (Ashihara no Nakatsukuni heitei (pacification of the Central Land of Reed Plains))
葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)は、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける日本神話の説話である。
国譲り(くにゆずり)ともいう。
以下は、『古事記』の上ッ巻を主に参考にした。
『日本書紀』卷二の神世下(かみのよのしものまき)の第九段に、同様の説話を載せている。
あらすじ
アマテラスら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治するべきなのは、天津神、とりわけアマテラスの子孫だ」とした。
そのため、何人かの神を出雲に使わした。
大国主の子である事代主・タケミナカタが天津神に降ると、大国主も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。
アメノオシホミミの派遣
アマテラスは、「葦原中国は私の子のアメノオシホミミが治めるべき国だ」と言い、アメノオシホミミに天降りを命じた。
しかし、アメノオシホミミは天の浮橋に立って下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしい状態で、とても手に負えない」と高天原に上ってきて、アマテラスに報告した。
アメノホヒの派遣
タカミムスビとアマテラスは天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。
オモイカネと八百万の神が相談して「アメノホヒを大国主神の元に派遣するのが良い」という結論になった。
タカミムスヒとアマテラスはアメノホヒに大国主の元へ行くよう命じた。
しかし、アメノホヒは大国主の家来になってしまい、三年たっても高天原に戻って来なかった。
アメノワカヒコの派遣
タカムスヒとアマテラスが八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、八百万の神々とオモヒカネが相談して「アメノワカヒコを遣わすべき」と答えた。
そこで、アメノワカヒコに天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。
しかし、アメノワカヒコは大国主の娘であるシタテルヒメと結婚し、自分が葦原中国の王になってやろうと考えて八年たっても高天原に戻らなかった。
アマテラスとタカムスヒがまた八百万の神々に、アメノワカヒコが長く留まって戻ってこないので、いずれの神を使わして理由を訊ねるべきかと問うと、八百万の神々とオモイカネは「雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を遣わすべき」と答えた。
そこで、天つ神は、ナキメに、アメノワカヒコに葦原中ッ国に遣わしたのは、其の国の荒ぶる神どもを平定せよと言ったのに、何故八年経ても帰ってこないのかを、聞くように命令した。
ナキメは天より下って、アメノワカヒコの家の木にとまり理由を問うと、アメノサグメが「この鳥は鳴き声が不吉だから射殺してしまえ」とアメノワカヒコをそそのかした。
アメノワカヒコはタカムスヒから与えられた弓矢でナキメの胸を射抜き、その矢は高天原のタカムスヒの所まで飛んで行った。
タカムスヒはその矢に血が付いていたので、この矢はアメノワカヒコに与えた矢であると諸神に示して、「アメノワカヒコの命に別状無くて、悪い神を射た矢が飛んで来たのなら、この矢はアメノワカヒコに当たるな。もしアメノワカヒコに邪心があるのなら、この矢に当たれ」と言って、矢を下界に投げ返した。
矢はアメノワカヒコの胸を射抜き、アメノワカヒコは死んでしまった。
ナキメも高天原へ帰ってこなかった。
アメノワカヒコの葬儀
アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届いた。
アメノワカヒコの父アマツクニタマや母が聞いて、下界に降りて泣き悲しみ喪屋をつくった。
アヂシキタカヒコネが弔いに訪れた時、アヂシキタカヒコネがアメノワカヒコによく似ていたため、アメノワカヒコの父と母が「我が子は死なないで、生きていた」と言って抱きついた。
するとアヂシキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。
この喪屋が美濃国の喪山である。
アヂシキタカヒコネの妹のタカヒメは、歌を詠んだ。
タケミカヅチの派遣
アマテラスが八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、オモイカネと八百万の神々は、「イツノオハバリか、その子のタケミカヅチを遣わすべき」と答えた。
アメノオハバリは「タケミカヅチを遣わすべき」と答えたので、タケミカヅチにアメノトリブネを副えて葦原中国に遣わした。
コトシロヌシの服従
タケミカヅチとアメノトリフネは、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座った。
そして、大国主に「この国は我が御子が治めるべきであるとアマテラス大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。
大国主は、自分が答える前に息子の事代主に訊ねるようにと言った。
事代主は「承知した」と答えると、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れてしまった。
タケミナカタの服従
タケミカヅチが「コトシロヌシはああ言ったが、他に意見を言う子はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子のタケミナカタにも訊くよう言った。
そうしている間にタケミナカタがやって来て、「ここでヒソヒソ話をしているのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と言ってタケミカヅチの手を掴んだ。
すると、タケミカヅチは手をつららに変化させ、さらに剣に変化させた。
逆にタケミカヅチがタケミナカタの手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、タケミナカタは逃げ出した。
タケミカヅチはタケミナカタを追いかけ、信濃国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめた。
タケミナカタはもう逃げきれないと思い、「この地から出ないし、オオクニヌシやコトシロヌシが言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言った。
オオクニヌシの国譲り
タケミカヅチは出雲に戻り、大国主に再度訊ねた。
大国主は「二人の息子が天津神に従うというのであれば、私も逆らわずにこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主に従って天津神に背かないだろう」と言った。
出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てて、たくさんの料理を奉った。
タケミカヅチは葦原中国平定をなし終え、高天原に復命した。
解説
葦原中国平定の記述は、ヤマト王権による国家統一の過程が元になったものと考えられている。
記紀の説話では出雲国が舞台となっているが、他の国でもヤマト王権への何らかの形での「国譲り」が行われたものと思われる。
記紀で出雲が国譲りの舞台として書かれているのは、出雲が最後に残った勢力で、出雲の平定により一応の国家統一が達成されたと考えられたためとされている。
又、すでに出雲を中心とする勢力によって統一されていた古代ヤマト王権が別の勢力によって滅ぼされ、政権交代を正当化する為に後から創られたものであるとも考えられる。