藤原定頼 (FUJIWARA no Sadayori)

藤原定頼(ふじわら の さだより、長徳元年(995年) - 寛徳2年1月19日 (旧暦)(1045年2月8日))は平安時代中期の公家・歌人。
父は藤原公任。
母は昭平親王(村上天皇の皇子)の娘。
正二位権中納言に至り、四条中納言と称される。
中古三十六歌仙の一人。

概要

長元5年(1032年)の「上東門院彰子菊合」、同8年(1035年)の「関白左大臣頼通歌合」などに出詠。
少し軽薄な性格であったようで、小式部内侍にやり込められた逸話が残っている。
相模 (歌人)や大弐三位などと関係を持った。
音楽・読経・書の名手であった。

「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。
家集に「定頼集」がある。

小倉百人一首
64番 朝ぼらけ 宇治の川霧 絶え絶えに あらはれわたる 瀬々の網代木
(「千載集」冬419)

[English Translation]