藤原敦頼 (FUJIWARA no Atsuyori)
藤原 敦頼(ふじわら の あつより、寛治4年(1090年) - 寿永元年(1182年)頃?)は、平安時代後期の公家・歌人。
父は治部少輔藤原清孝。
母は長門国守藤原孝範の娘。
若い頃の事績は不明である。
右馬助などを務めて従五位上に至る。
承安 (日本)2年(1172年)に出家して道因と称した。
永暦から治承(1160年 - 1181年)にかけて開催された主要な歌合せに参加・出詠。
また自らも「住吉社歌合」「広田社歌合」などの社頭歌合を主催している。
「千載和歌集」以下の勅撰集に入集している。
百人一首
82番 思いわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり 道因法師
(「千載和歌集」恋三817)