藤原高遠 (FUJIWARA no Takato)
藤原 高遠(ふじわら の たかとお、天暦3年(949年) - 長和2年5月6日 (旧暦)(1013年6月16日))は、平安時代中期の歌人。
父は藤原斉敏(ふじわらのただとし)で、高遠は藤原実頼の孫にあたる。
母は藤原伊文の娘。
弟に「小右記」(おうき、しょうゆうき)を記した藤原実資がいる。
官位は非参議正三位に至る。
中古三十六歌仙の一人。
和歌のほかに笛に秀でた。
永祚 (日本)2年(990年)非参議になり、その後、兵衛府などを経る。
寛弘元年(1004年)大宰大弐になり、同2年正三位に叙せられる。
同6年、筑前国守藤原文信に訴えられ、大弐の職を停められて帰京。
一条天皇の笛の師であった(『枕草子』230)。
三位に叙せられたのは笛の妙曲によるものだった(『百錬抄』永祚2年1月11日条)。
康保3年(966年)閏8月の三条左大臣藤原頼忠前栽合に出詠。
「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に27首が入集。
家集に「大弐高遠集」がある。