京都学派四天王 (Big Four of the Kyoto School)
京都学派四天王(きょうとがくはしてんのう)とは高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高の京都学派に属する四人の学者のことである。
戦後、戦争協力の廉で京都大学を離れた(高坂正顕、西谷啓治は後に京都大学に復帰)。
戦時下の1942年から翌年にかけて 『中央公論』誌上で三回にわたり掲載され、大東亜戦争を「世界史の哲学」の立場から思想的に位置付けようと試みた「世界史的立場と日本」座談会(「世界史的立場と日本」1942年一月号、「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」1942年四月号、「総力戦の哲学」1943年一月号)の出席者である。
大東亜戦争中に京都学派と大日本帝国海軍との間で定期的に行われ、東條内閣打倒や大日本帝国陸軍の方針の是正が話し合われた秘密会合の常連出席者であった。
「世界史の哲学」は大日本帝国陸軍の皇道派により国体思想として攻撃されていたが、大川周明『近世欧羅巴植民史』の亜流とする説もある。