伊勢大輔 (ISE no Taifu (Osuke))

伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ、永祚 (日本)元年(989年)頃? - 康平3年(1060年)頃?)は平安時代中期の女流歌人。
父は大中臣輔親。
高階成能に嫁し、康資王母、筑前乳母、源兼俊母など優れた歌人を生んだ。
中古三十六歌仙の一人。

1008年(寛弘5年)頃に一条天皇の中宮上東門院藤原彰子に仕えた。
和泉式部・紫式部などと親交した。
晩年には白河天皇の傅育の任にあたった。
1060年(康平3年)までの生存が確認されている。

1049年(永承4年)の内裏歌合、1056年(天喜4年)の皇后宮寛子春秋歌合に出詠している。

「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に約50集が入集。
家集に「伊勢大輔集」がある。

小倉百人一首
61番 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな (「詞花集」春29)

[English Translation]