入唐求法巡礼行記 (Record of a Pilgrimage to China in Search of the Law)

入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)とは、9世紀の日本人僧で、最後の遣唐使(承和)における入唐請益僧である円仁(794年‐864年)の旅行記である。
全4巻、文量は7万字。
原本は失われた。
1291(正応4)年に京都祇園の長楽寺の兼胤という僧が72歳の時に書写した東寺観智院旧蔵本が最古の写本である。
その後所在が忘れられていたが、明治に入って再発見された。
70歳を越えた老僧が老眼鏡も無い時代に苦労して書写した写本であり、解読に困難な文字が少なくない。

円仁は最澄に師事した天台宗僧で、後に山門派の祖となる。

内容

巻一 承和5年(836年)6月13日条 - 開成 (唐)4年(839年)4月
巻二 開成4年(839年)4月 - 開成5年(840年)5月
巻三 開成5年(840年)5月 - 会昌3年(843年)5月
巻四 会昌3年(843年)6月 - 承和 (日本)14年(847年)12月14日条

評価

その記述内容は、ちょうど遭遇してしまった、武宗 (唐)による会昌の廃仏(三武一宗の廃仏の3番目)の状況を記録した同時代史料として注目される。

入宋した僧成尋が北宋皇帝に進上している。

正史には見られない、9世紀の中国の社会・風習についての記述も多く、唐の歴史研究をする上での貴重な史料として高く評価される。
中国や日本では、玄奘(602年‐664年)の『大唐西域記』やマルコ・ポーロ(1254年 - 1324年)の『東方見聞録』以上の価値があると評価する歴史学者もいる。
(この3つを世界大旅行記とする意見もある。)

1955年には、駐日大使でもあったエドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる。

[English Translation]