千載和歌集 (Senzai Wakashu)

千載和歌集(せんざいわかしゅう)は勅撰和歌集の一つ。
『詞花和歌集』の後、『新古今和歌集』の前に位置し、八代集の第七である。

寿永二年(1183年) 後白河天皇の下命により、藤原俊成が着手し、文治四年(1188年)4月22日に奏覧。
俊成の私撰集『三五代集』を基に編纂されたという。
構成は春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、離別、羇旅、哀傷、賀、恋(五巻)、雑(上・中・下)、釈教、神祇の部立からなる二十巻で、歌数は1288首。
そのほとんどが短歌である。

一条天皇朝の正暦年間(実は永延の始め)を上限に、代々の勅撰集に漏れた秀歌や、当代の歌人の作品を収める。
選歌の方針は格調と抒情性を重んじ、俊成が唱えた「幽玄」の心や、本歌取りなどの技巧を特色とする。
最多入集歌人は『金葉和歌集』撰者の源俊頼(52首)で、俊成自身(36首)がそれに次ぐ。
藤原基俊(26首)・崇徳天皇(23首)ら政治の敗者も上位を占める。
他に当代歌人では俊恵・円位法師(西行)・待賢門院堀河・式子内親王、王朝歌人では和泉式部・紫式部・大江匡房・藤原公任などが目立つ。
先の『詞花』に反して当代重視主義に戻り、同時代の入集歌数は全体の半数に及んだ。
また、僧侶歌人の比率も二割と高い。

平忠度が都落ちの最中、藤原俊成の屋敷へ立ち寄って自分の歌を書いた巻物を託した。
その中の1首を俊成が詠み人知らずとして掲載した。
このエピソードは、平家物語によって有名になっている。

伝本に大きな異同は見られず、鎌倉時代末期の写本が最古である。
最近出版された『千載和歌集』の注釈本で入手しやすいのは、岩波書店の「新日本古典文学大系」本と、「新編国歌大観」本である。

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