周阿 (Shua)
周阿(しゅうあ、? - 永和 (日本)3年/天授 (日本)3年(1377年)?)は、南北朝時代 (日本)の地下(じげ=庶民)の連歌師。
俗名を坂の小次郎と称した。
連歌を救済 (連歌師)(ぐさい・きゅうぜい)に師事し、その後継と目された。
二条良基の撰した連歌の法則を定めた「応安新式」の制定にも関与した。
年は不明だが東国に下向しており、晩年は九州に下った。
知的で人の意表をつく句風は、室町時代初期にかけての連歌壇にはやった。
「菟玖波集」に入集しているほか、「紫野千句」「侍公周阿百番連歌合」などにも句が残されている。