大伴旅人 (OTOMO no Tabito)
大伴 旅人(おおとも の たびと、665年 - 天平3年(731年)7月25日 (旧暦))は奈良時代初期の政治家、歌人。
父は大伴安麻呂、母は巨勢郎女。
息子に大伴家持がいる。
同じく有名な万葉歌人の大伴坂上郎女は異母妹。
714年(和銅7年)、父の安麻呂が亡くなる。
718年(養老2年)に中納言に任じられる。
720年(養老4年)山背摂官となり、その後征隼人持節大将軍として隼人の反乱を鎮圧した。
神亀年間(724年-729年)には、大宰帥として九州の大宰府に赴任し、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成した。
730年(天平2年)大納言に任じられ京に戻り、翌731年(天平3年)正二位に昇進するが、まもなく病を得て没した。
政治的には長屋王派と言われていた。
漢詩集『懐風藻』に漢詩が収められ、『万葉集』にも和歌78首選出されているが、和歌の多くは大宰帥以後のものである。
酒を讃むるの歌十三首(国歌大観番号0338-0350)を詠んでおり、酒をこよなく愛した人物として知られている。